せいかんじ|浄土宗|亀鶴山
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楽しみ方誓閑寺のお参りの記録一覧

誓閑寺(せいかんじ)は、東京都新宿区喜久井町にある浄土宗の寺院で、亀鶴山易行院と号します。1630年(寛永7年)、誓閑和尚によって創建され、1666年(寛文6年)に現在の地へ移転しました。本尊は阿弥陀如来像です。
● 誓閑寺の歴史
誓閑寺の起源は、1630年(寛永7年)に誓閑和尚が開山した易行院にさかのぼります。明暦の大火後、宗参寺領内の庚申塚に一時移転し、1666年(寛文6年)に現在の喜久井町へ移りました。
● 「牛込區史」に記された誓閑寺の歴史
「牛込區史」によると、誓閑寺の境内には直径二尺六寸の大鐘があり、元和2年(1616年)に藤原兼長によって鋳造されました。鐘銘に「荏原郡」と記されており、当時の地名表記についての貴重な資料となっています。
● 「東京名所図会」に記された誓閑寺
「東京名所図会」によれば、誓閑寺は赤門に黒額を掲げ、「亀鶴山」と赤書されています。本堂は二重構造で、下部を赤く塗り、黒地に白文字で「誓閑寺」と記された扁額が掲げられています。また、境内には「除厄五智如来」の石標や鐘楼があり、五智如来像は開山である誓閑和尚の作と伝えられています。
● 誓閑寺の文化財
誓閑寺には新宿区指定文化財が2つあります。
誓閑寺の梵鐘
1682年(天和2年)に近隣住民の寄進により鋳造された新宿区最古の梵鐘。
総高138cm、口径79cm、周囲236cm。
「武州荏原郡」の記載があり、当時の地名表記の変遷を示す貴重な史料。
鐘楼は昭和49年(1974年)に千葉県木更津市の選擇寺から移築。
銅造地蔵菩薩半跏像
1818年(文政元年)に誓閑寺第十世住職・進誉求道の時代に鋳造。
神田の鋳物師・太田駿河守藤原政義の作。
高さ136cm、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏像。
台座には「百万遍講中」と刻まれ、尾張徳川家の奥女中との関連がうかがえる。
● 尾張徳川家との関係
誓閑寺は尾張徳川家の下屋敷に隣接していたことから、奥女中の墓が多く存在しました。現在は「大奥老女・川瀬の墓」だけが残されています。
● 夏目漱石と誓閑寺
夏目漱石は、随筆『硝子戸の中』の中で、誓閑寺の鐘の音について触れています。区内最古の梵鐘には「荏原郡」と刻まれており、1682年(天和2年)頃、この地がまだ旧郡名「荏原郡」と呼ばれていたことを示す証拠となっています。
● 誓閑寺の謎
誓閑寺の梵鐘には「武州荏原郡」と記されていますが、1682年当時、すでにこの地域は豊島郡に属していたはずです。このため、室町時代に荏原郡に属していた名残ではないかという説があるものの、郡境がどこにあったのかは不明です。同様の謎を持つ庚申塔が近くの来迎寺にも残されています。













23.10.07。先の放生寺より徒歩7分。東京メトロ東西線「早稲田駅」から直ぐ近くの新宿区喜久井町にある浄土宗の寺院。
山号 亀鶴山
院号 易行院
創建 寛永7年(1630年)
開山 誓閑和尚
本尊 阿弥陀如来
寛永7年、雄譽霊厳和尚が、深川に創建した霊厳寺が明暦の大火で焼失した後、その法燈を継いで、誓閑和尚がこの地に「方松庵」を建てたのがこの寺の始まりです。尾張家の下屋敷に隣接している関係から、当家の奥女中の墓が多かったようですが、今は大奥老女・川瀬のひとつを残すだけです。
夏目漱石は自宅すぐ近くの誓閑寺の鉦の音について、随筆「硝子戸の中」で触れています。境内の『梵鐘』(新宿区指定文化財)は区内最古の梵鐘で、「荏原郡」の在銘と寄進者名が刻まれいることから、天和2年(1682年)頃、すでに豊島郷になっていたこの地が、いまだ旧郡名の「荏原郡」とよばれていたことが分かります。
〜新宿観光振興協会HPより〜
以前から、夏目漱石ファンとしては、ゆかりある当寺院に寄ってみようと思っていたので、先の放生寺から近くなので参詣しました。想像より地味なお寺さんでしたが!

寺号

参道

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鐘楼
梵鐘を撮り漏れました💦

本堂
庫裡と思いましたが、こちら本堂でした。ちなみに御朱印はされていませんでした。

六地蔵




おまけ
当随筆に「西閑寺」の名で出て来ます。
東京都のおすすめ3選❄️
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