きしもじんどう (ほうみょうじ)
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鬼子母神堂 (法明寺)ではいただけません
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鬼子母神堂 (法明寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月06日(木)
参拝:2023年7月吉日
23.07.02。先の金乗院さんより徒歩13分。豊島区雑司が谷3丁目にある日蓮宗法明寺の境外仏堂。
【由来と歴史】〜当堂リーフレットより〜
当山におまつりする鬼子母神のご尊像は、室町時代の永禄4年(1561)5月16日、清士(現在の文京区目白台)の池の辺りより掘り出され、その後、東陽坊(後に法明寺に合併)という寺に納められました。
安土桃山時代の天正6年(1578)、『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々がお堂を建てて今日に至っています。
現在の本殿は寛文4年(1664)、徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常の息女で、安芸広島藩主浅野光晟(みつあきら)に嫁した自昌院殿心日大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張されています。
都心の池袋からほど近い地にありながら、参道の欅、境内のイチョウの大木など緑も豊富で且つ、下町情緒もある癒され空間でした。
【由来と歴史】〜当堂リーフレットより〜
当山におまつりする鬼子母神のご尊像は、室町時代の永禄4年(1561)5月16日、清士(現在の文京区目白台)の池の辺りより掘り出され、その後、東陽坊(後に法明寺に合併)という寺に納められました。
安土桃山時代の天正6年(1578)、『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々がお堂を建てて今日に至っています。
現在の本殿は寛文4年(1664)、徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常の息女で、安芸広島藩主浅野光晟(みつあきら)に嫁した自昌院殿心日大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張されています。
都心の池袋からほど近い地にありながら、参道の欅、境内のイチョウの大木など緑も豊富で且つ、下町情緒もある癒され空間でした。
先の金乗院山門前から鬼子母神堂への道
宿坂道
↓
宿坂道
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参道手前に
参道入り口
参道
境内入り口
仁王像(右)
(左)
手水舎
大公孫樹(おおいちょう)
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武芳稲荷堂
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本殿遠景
狛犬(阿形)
(吽形)
本殿正面
逆光で上手く撮れず😢
逆光で上手く撮れず😢
堂内は撮影禁止❗️
御朱印は堂内にて直書きで拝受しました。
御朱印は堂内にて直書きで拝受しました。
法不動(のりふどう)堂
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大黒堂
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みみずくの椅子
次の法明寺さんで頂いたリーフレット。
すてき
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こばけん990投稿
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