きしもじんどう (ほうみょうじ)
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鬼子母神堂 (法明寺)ではいただけません
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鬼子母神堂 (法明寺)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月18日(日)
参拝:2018年2月吉日
鬼子母神堂は永禄4年(1561)に鬼子母神像が出現したことに始まる。天正6年(1578)、鬼子母神像が雑司ヶ谷の村人によって建てられた草堂に安置され、寛永2年(1625)には社殿の造営があり、正保3年(1646)には宮殿が寄進された。
鬼子母神像が託された法明寺塔頭の東陽坊は後に大行院となり、江戸時代を通じて鬼子母神堂は大行院が別当として管理した。鬼子母神堂には江戸時代前期より将軍の御成があり、鬼子母神の信仰は江戸時代を通じて武家から庶民に至るまで幅広く浸透し、大いに盛況を呈した。
鬼子母神堂は、近くにある日蓮宗法明寺の境外仏堂であり、明治維新時の神仏分離を免れた一例である。江戸時代は表参道に鳥居が立つ、雑司ケ谷村の総鎮守であったが、祭神が鬼子母神であったため、神仏分離の際に仏堂と判断された。
昭和35年(1960)2月13日付で東京都有形文化財に指定され、昭和54年(1979)に半解体修理が完了した。この際、拝殿は桟瓦の鍛葺から銅板の平葺(とち葺型)へ変更し、全体が銅板葺屋根となって、現在に至っている。
鬼子母神像が託された法明寺塔頭の東陽坊は後に大行院となり、江戸時代を通じて鬼子母神堂は大行院が別当として管理した。鬼子母神堂には江戸時代前期より将軍の御成があり、鬼子母神の信仰は江戸時代を通じて武家から庶民に至るまで幅広く浸透し、大いに盛況を呈した。
鬼子母神堂は、近くにある日蓮宗法明寺の境外仏堂であり、明治維新時の神仏分離を免れた一例である。江戸時代は表参道に鳥居が立つ、雑司ケ谷村の総鎮守であったが、祭神が鬼子母神であったため、神仏分離の際に仏堂と判断された。
昭和35年(1960)2月13日付で東京都有形文化財に指定され、昭和54年(1979)に半解体修理が完了した。この際、拝殿は桟瓦の鍛葺から銅板の平葺(とち葺型)へ変更し、全体が銅板葺屋根となって、現在に至っている。
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竜王1318投稿
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