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おんでんじんじゃ

穏田神社の編集履歴
2020年12月12日(土)
公式東京都 明治神宮前駅

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Goshuinnist
2020年12月12日 08時31分

ご由緒

当社の創建は詳らかではありませんが、旧穏田一円の産土神として古く、天正十八年(1590)徳川家康が関東の領主となり、本能寺の変に際して武功をたてた伊賀衆が翌十九年此の穏田の地を給地に賜ってから、それまで土地の者で維持されてきた神社も以来祭儀が盛んに行われるようになり、土地の鎮守として面目を一新し神徳も顕揚して明治維新に及んでいると云われています。
 江戸時代は第六天社と称していましたが、明治維新の際に穏田神社と改称しました。明治十八年五月六日穏田村八十四番地に鎮座していた熊野神社を合祀しています。熊野神社は、寛文元年(1661)辛丑六月朔日、元広島藩主松平安芸守光晟室自昌院が再建したといわれています。その時の棟札には『東照大権現ノ宮孫猷院殿息女藝州ノ太守四品羽林院源光晟公室自昌院殿英心日妙』と自昌院(加賀・前田家より浅野家へ嫁す)の名を記してありましたが、合祀の際に他の腐朽材と共に投棄されてしまったと社史には伝わっています。現在、境内手水舎の手水石は合祀の際に移したと思われ、手水石に刻まれている梅鉢は前田家の家紋で、自昌院は生涯この紋所を使ったといわれています。当時を偲ぶ唯一の物証であります。
 明治四十四年、社殿・神楽殿・手水舎・社務所・鳥居・石段を新築又は改築しており、当時、社殿・神楽殿・手水舎・社務所等は百数十年を経た古色蒼然たる茅葺きの建物であったといわれています。
 昭和天皇御大典の記念事業として、社殿の増改築・社務所の新築・神楽殿・手水舎等の改修を行い、神社施設を完備しました。千駄ヶ谷町合併に伴い、氏子の誠意により、昭和三年九月二十五日社格申請をし、同年十一月二日に村社に昇格しました。
 昭和二十年五月二十五日の戦災により、神輿庫を除いて神社施設全てが鳥有に帰しました。罹災後、篤志崇敬者や氏子の方々の敬神の真心と献身的なご努力をいただき、社殿・神楽殿・手水舎・神輿庫・社務所・稲荷社が再建されましたが、戦後五十年を経て施設の老朽化も著しく、平成八年全面的な改築の運びとなり、平成十年十一月末、社殿・社務所・神輿庫が新築され、稲荷社・手水舎を移築、十二月八日遷座祭、翌九日には竣工奉告祭が盛大に挙行されました。また、平成十六年には八十四年ぶりに宮神輿が氏子の誠意で修復され、神幸祭が盛大に斎行され現在に至っています。

URL

https://onden.jp/

見所

<h3>旧小松宮家から移された可愛らしい狛犬</h3>
当社の狛犬は旧小松宮家から移された珍しい形をした狛犬です。奉納年代は不明ですが、とても不思議で可愛らしい形をしています。

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