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おんでんじんじゃ

穏田神社の編集履歴
2021年06月22日(火)
公式東京都 明治神宮前駅

穏田神社さんのプロフィール画像
穏田神社
2021年06月22日 13時26分

郵便番号

150-0001

住所

渋谷区神宮前5−26−6

編集前:渋谷区神宮前5-26-6

ご由緒

当社の創建は定かではありませんが、穏田と呼ばれたこの地の産土神として古くより信仰されてきました。天正18年(1590)に徳川家康が関東の領主になると、翌年、家康に従っていた伊賀衆がこの穏田の地を賜りました。これは伊賀衆が本能寺の変の際に京都にいて命を狙われた家康を東国へと導いた「伊賀越え」などの武功によるものです。

神仏習合の時代だった江戸時代には、御祭神と同一とされる天界の王「第六天」を祀り、当社は「第六天社」と称されていました。明治維新によって神仏が分けられると現在の社名に改称されました。

また江戸時代、この地は水が豊かだったことから多くの田畑が広がっており、渋谷川には多くの水車がありました。その様子は葛飾北斎の『富嶽三十六景』の中にも描かれています。

明治18年(1855)には、穏田村84番地(現在の神宮前6丁目)にあった熊野神社を合祀しました。熊野神社があった地は、加賀・前田家とゆかりの深い浅野家が治めていたことがあり、合祀の際に移築した当社の手水舎には前田家の家紋が刻まれています。

昭和天皇御大典の記念事業として、社殿の増改築・社務所の新築、神楽殿・手水舎等の改修を行い、神社施設を完備しました。当時まだ当社は無格社でしたが、千駄ヶ谷町合併に伴い、氏子の誠意によって昭和3年9月25日に社格申請をし、同年11月2日に村社に昇格しました。

昭和20年(1945)5月25日の東京大空襲の際には、神輿庫を除いてすべてが消失しました。しかし、氏子崇敬者の敬神の真心と献身的なご尽力により、小松公爵邸にあった邸内社や灯籠が払い下げられるなどして当社の施設は再建されました。

しかし、戦後50年を経て施設の老朽化が著しく、平成8年(1996)に全面的な改築を行い、平成10年(1998)に社殿や社務所、神輿庫が新築され、稲荷社・手水舎は移築されました。

現在はファッション・アパレル、美容関係を中心に多くの店舗や企業が立ち並ぶようになり、新たな文化流行の発信地として世界中から多くの人々が集まる街になりました。当社は街の鎮守として、この地で生活している人々をお守りしています。

編集前:当社の創建は詳らかではありませんが、旧穏田一円の産土神として古く、天正十八年(1590)徳川家康が関東の領主となり、本能寺の変に際して武功をたてた伊賀衆が翌十九年此の穏田の地を給地に賜ってから、それまで土地の者で維持されてきた神社も以来祭儀が盛んに行われるようになり、土地の鎮守として面目を一新し神徳も顕揚して明治維新に及んでいると云われています。
 江戸時代は第六天社と称していましたが、明治維新の際に穏田神社と改称しました。明治十八年五月六日穏田村八十四番地に鎮座していた熊野神社を合祀しています。熊野神社は、寛文元年(1661)辛丑六月朔日、元広島藩主松平安芸守光晟室自昌院が再建したといわれています。その時の棟札には『東照大権現ノ宮孫猷院殿息女藝州ノ太守四品羽林院源光晟公室自昌院殿英心日妙』と自昌院(加賀・前田家より浅野家へ嫁す)の名を記してありましたが、合祀の際に他の腐朽材と共に投棄されてしまったと社史には伝わっています。現在、境内手水舎の手水石は合祀の際に移したと思われ、手水石に刻まれている梅鉢は前田家の家紋で、自昌院は生涯この紋所を使ったといわれています。当時を偲ぶ唯一の物証であります。
 明治四十四年、社殿・神楽殿・手水舎・社務所・鳥居・石段を新築又は改築しており、当時、社殿・神楽殿・手水舎・社務所等は百数十年を経た古色蒼然たる茅葺きの建物であったといわれています。
 昭和天皇御大典の記念事業として、社殿の増改築・社務所の新築・神楽殿・手水舎等の改修を行い、神社施設を完備しました。千駄ヶ谷町合併に伴い、氏子の誠意により、昭和三年九月二十五日社格申請をし、同年十一月二日に村社に昇格しました。
 昭和二十年五月二十五日の戦災により、神輿庫を除いて神社施設全てが鳥有に帰しました。罹災後、篤志崇敬者や氏子の方々の敬神の真心と献身的なご努力をいただき、社殿・神楽殿・手水舎・神輿庫・社務所・稲荷社が再建されましたが、戦後五十年を経て施設の老朽化も著しく、平成八年全面的な改築の運びとなり、平成十年十一月末、社殿・社務所・神輿庫が新築され、稲荷社・手水舎を移築、十二月八日遷座祭、翌九日には竣工奉告祭が盛大に挙行されました。また、平成十六年には八十四年ぶりに宮神輿が氏子の誠意で修復され、神幸祭が盛大に斎行され現在に至っています。

電話番号

03-3407-7036

ご祭神/ご本尊

主祭神
「淤母陀琉神」(おもだるのかみ)
「阿夜訶志古泥神」(あやかしこねのかみ)
天地が誕生したのちに現れた7代目の神々(神代七代)のうち6代目にあたる男女の神です。面足尊ともいい、オモダルは「整った容貌」の意味、アヤカシコネは「畏れ多い女性」の意味とされ、男女の人体の完成、整った容貌への畏怖をあらわしています。そのため、美容や技芸上達、夫婦円満、万物創造の神として信仰されています。

相殿神
「櫛御食野神」(くしみけぬのかみ)
別名を須佐之男命といい、出雲地方を荒らす八岐大蛇を退治し、大蛇に人身御供されるはずだった櫛名田比売と結婚したことから、縁結びの神として知られています。また、その強い力から疫病除けの神としても信仰されています。

境内末社に稲荷社をお祀りしております。

編集前:《合》櫛御食野神,《主》淤母陀流神,阿夜訶志古泥神

見所

原宿と渋谷の間にある小さな氏神神社です。
都会の中とは思えないほど静かで穏やかな空気にいやされます。

編集前:<h3>旧小松宮家から移された可愛らしい狛犬</h3>
当社の狛犬は旧小松宮家から移された珍しい形をした狛犬です。奉納年代は不明ですが、とても不思議で可愛らしい形をしています。

アクセス

JR線、東急線、地下鉄線「渋谷駅」から徒歩約10分
JR山手線「原宿駅」から徒歩約10分
東京メトロ千代田線、副都心線「明治神宮前駅」7番出口から徒歩約5分

参拝時間

ご参拝は自由にできます。
社務所受付時間は10時〜17時、神職不在の場合は11時〜16時です。
最新情報は公式ホームページもしくはインスタグラムをご確認ください。

編集前:毎月1日、15日、土曜日、日曜日。11時から16時。最新情報は公式インスタグラムを確認。(ツイッターは更新停止中)

twitter

onden_jinja

御朱印帳

あり

トイレ

なし

創立

不詳(江戸時代は第六天社、明治維新により穏田神社に改称)

行事

1月1日 元旦祭
2月節分 節分祭
5月5日 端午祭
6月30日 夏越大祓
9月9日に近い土日 例大祭
11月23日 新嘗祭
12月29日 年越大祓
12月31日 除夜祭

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