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ふくだいなりじんじゃ

福田稲荷神社の御由緒・歴史
東京都 新日本橋駅

ご由緒

(「福田稲荷神社の由来」の立て札より)

 昔、現在の神田明神のお山から南へなだらかな山裾が続き、そのすぐ向こうは海でありました。その山裾一円を武蔵国南豊島郡福田村と呼んで居りました。福田村は神田山をきり崩して平らな土地を作り、土着の人々を米作りを致して居りました。今に残る福田町、豊島町は当時の名残りでございます。
 和銅年間と申しますと平城京が造られたり、和同開珎として名高い武州足尾銅山の銅を献じて我が国初の貨幣が鋳られたのもこの頃で、凡そ千三百年程前のことであります。古事記に依りますと、和銅二年に始めて京都稲荷山に伏見稲荷大明神が勧請致されました。それから二年後和銅四年(西暦七百十一年)に伏見より分社して福田村に鎮座したのがそもそも福田稲荷神社の縁起であります。
 稲荷神社には御承知の通り、伏見系と豊川系とございます。伏見は神道、豊川は仏道でございますので、福田神社は純然たる伏見系に属する神道でございます。当時、福田村付近の人々は五穀豊穣の守護神として崇敬し、この社を中心にして日夜平和な生活が続いたものと存じます。
 現在に至り日本橋、神田の人々が永く平和を保つことの出来ますのも偏に霊験あらたかなる福田稲荷の御守護の賜物と存じます。

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