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赤城神社ではいただけません
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あかぎじんじゃ

赤城神社のお参りの記録(1回目)
東京都神楽坂駅

投稿日:2023年04月09日(日)
参拝:2023年4月吉日
【東京編④】
湯島天神様から4社目は神楽坂にある赤城神社様へ初めてお参りに行きました😆

いつも早稲田へお参りに行くときに、こちらへ寄ってから行こうと思っていたのになかなか寄れなかった赤城神社様へやっと行けました。

【赤城神社】

伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の御代に、
群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町•元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。

天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称されました。この三社による祭礼の際における山車、練物等は江戸城の竹橋から内堀に入り半蔵門に出ることを許されていました。

その後、明治6年に郷社に列することになります。しかし、街の発展に伴い電柱や電燈などの障害物ができたので、盛観を極めた山車行列は明治32年の大祭が最後となりました。
ー赤城神社HPよりー
赤城神社の鳥居
☆大鳥居⛩️☆
赤城神社の授与品その他
鳥居をくぐった右側にポスターが貼ってありました。

赤城神社様と神楽坂のご当地キャラ「モグハル」がコラボした御朱印帳のポスターでした。
白と黒の2種類あるのかと思ったら黒は御朱印帳のカバーでした。
赤城神社の歴史
赤城神社の建物その他
鳥居をくぐって奥にも鳥居が見えますが
まずは右側の階段を上ってお参りしていきます😊
赤城神社の建物その他
観光地にある顔出しするやつ(名前がわからない)
階段を上がりきるとドーンと設置されてます😆

愛猫をはめ込みしました😸
赤城神社の本殿
☆御社殿☆

江戸時代の資料によると、天保13年3月7日の午の刻(正午)通寺町(現神楽坂六丁目)附近から出火し、強い南風のため赤城神社の御社殿が全焼したと記されています。

その後復興された神殿は「拝殿の内部は格天井を組み花鳥を描き欄に唐土日本の人物及び奇禽異獣を彫る刀の妙神に入る」と「新撰東京名所図会」にも載る如く実に壮麗なる御社殿だったといわれていますが、残念なことに、その立派なお社も昭和20年4月13日夕刻の戦災により、ことごとく焼失してしまいました。

終戦後、昭和23年より復興の計画を立て昭和26年10月16日には本殿を竣功、最終的に拝殿•幣殿ができあがったのは、復興計画から10有余年を経た昭和34年5月でした。

さらに現在の赤城神社は、赤城神社再生プロジェクトとして平成22年9月の「本殿竣工例大祭」にて全ての工事を完了し、新しい姿となりました。戦後復興出来ずにいた、神楽殿は「蛍雪さま」、出世の「おいなりさん」、病気平癒で人気の「八耳さま」、東照宮の「葵さま」まで全てが再興されました。
赤城神社の狛犬
☆狛犬様☆
赤城神社の本殿
赤城神社の建物その他
赤城神社の建物その他
【御祭神】磐筒雄命(いわつつおのみこと)
伊邪那岐命が火の神、迦具土神を御刀で倒されたときにお生まれになった神様で、智•仁•勇のすぐれたお力をお持ちになり、殖産興業•厄難消除•学問芸術の神又特に火防の神として高い御神徳を発揚せられます。

赤城姫命(あかぎひめのみこと)
一説に「赤城姫命」は大胡氏の息女ともいわれていて、旧別当は天台宗東叡山寛永寺末、赤輝山円明院当覚寺(江戸名所図会には東覚寺と記載)で同寺の本地仏は乗馬姿の地蔵尊でありました。 かつての神仏混淆の頃、赤城大明神の御神影であると称して当覚寺から氏子中へ頒布したことがあるので、今なお折々氏子中の旧家に散見されるため、当社の祭神である「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)とはかかわりはないが、合殿とされています。
赤城神社の建物その他
☆社務所☆

御守りやおみくじがたくさんありました😊

赤城神社様とご当地キャラ•モグハルでコラボした御朱印帳ありました。
モグハルのカバー付き(2500円)、カバーなし(2000円)です。
赤城神社の御朱印
赤城神社の末社
☆境内•末社 蛍雪天神(神楽殿)☆

【御祭神】菅原道真公
かつては横寺町に鎮座して朝日天満宮と称されていたが、明治9年に境内へと遷されたが戦火にて焼失しました。 平成17年(2005年)10月旺文社の寄進により螢雪天神として復興しました。 神楽殿の中に御内陣を備えます。
赤城神社の歴史
赤城神社を記した古文書は数多く残されていますが、にわかに信じられない説も多く存在しています。

『日光山記』
下野国二荒山(今の日光)と、上野国赤城山の神が中の湖(中禅寺湖)の領有をあらそい、二荒山の神はマムシになり、赤城の神はムカデの貌となり戦ったとありました。戦った場所が現在の日光国立公園内にある「戦場ヶ原」です。
赤城神社の芸術
☆御神像 赤城山と大百足☆

この百足を撫で御祭神のお力を戴き、御本社や末社をお廻りください。

と、百足様の横に書いてありましたが先にお参りしてきてしまいました😣
これから行かれる方は、お先にどうぞ
赤城神社の歴史
赤城神社の建物その他
☆俳人巻阿の碑•観音菩薩立像☆
赤城神社の歴史
赤城神社の鳥居
赤城神社の末社
☆出世稲荷神社•八耳神社•東照宮☆

【出世稲荷神社】
御祭神 宇迦御霊命(うかのみたまのみこと)
赤城神社がこの地に遷る以前から牛込の鎮守とされてきた地主神です。 かつては総朱塗の小祠でした。 現在は、近隣のサラリーマンの仕事の為のお参りが多く、人気を博しています。

【八耳神社】
御祭神 上宮之厩戸豊聰八耳命(うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと) 別称 : 聖徳太子
合殿に大国主大神•丹生大神•菅原大神を祀ります。 昔の太子堂。戦火にて焼失したものを復興致しました。

【東照宮】
御祭神 徳川家康公
牛込西五軒町にあった天台宗宝蔵院に鎮座していたのですが、明治元年神仏混合を廃止された際に境内へ遷しました。
赤城神社(東京都)
おまけ
【モグハル】
2020年に誕生した神楽坂のご当地キャラ
そのまんまモグラです😆

すてき

御朱印

令和5年 通年御朱印
令和5年 通年御朱印

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