あたごじんじゃ
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愛宕神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月13日(日)
参拝:2021年5月吉日
愛宕神社(青梅)は、青梅市柚木にある神社。旧社格は村社。祭神として火産霊神(ほむすびのかみ)を祀る。
平安時代前期の元慶年間(877年~885年)、即清寺の開基に伴い、その鎮守として標高584mの愛宕山の山頂に創建された。中世においては当地の豪族・三田氏の居城である辛垣城(からかいじょう)の鎮護守とされ、江戸時代には幕府から社領20石の御朱印状を下賜された。なお、明治維新の神仏分離までは即清寺が当社の別当寺を務めた。
明治時代には村社に列格した。昭和初期の1936年に麓に社殿を造営しこれを里宮とし、山頂の社殿を奥宮(奥ノ院)とした。
当社は、JR青梅線・二俣尾駅の南西1.5kmの、愛宕山の裾野に位置している。当社の境内までの長く急な階段が有名で、『青梅の出世階段の神社』と呼ばれ人気を博しているとともに、両脇に約1000本のツツジが植わっており時期になるとかなり美しいとのこと。
今回は、旅行情報サイト<じゃらん>で口コミ数の多い人気神社として紹介されていたので参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には数組の家族連れが急階段にチャレンジしていた。
平安時代前期の元慶年間(877年~885年)、即清寺の開基に伴い、その鎮守として標高584mの愛宕山の山頂に創建された。中世においては当地の豪族・三田氏の居城である辛垣城(からかいじょう)の鎮護守とされ、江戸時代には幕府から社領20石の御朱印状を下賜された。なお、明治維新の神仏分離までは即清寺が当社の別当寺を務めた。
明治時代には村社に列格した。昭和初期の1936年に麓に社殿を造営しこれを里宮とし、山頂の社殿を奥宮(奥ノ院)とした。
当社は、JR青梅線・二俣尾駅の南西1.5kmの、愛宕山の裾野に位置している。当社の境内までの長く急な階段が有名で、『青梅の出世階段の神社』と呼ばれ人気を博しているとともに、両脇に約1000本のツツジが植わっており時期になるとかなり美しいとのこと。
今回は、旅行情報サイト<じゃらん>で口コミ数の多い人気神社として紹介されていたので参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には数組の家族連れが急階段にチャレンジしていた。
大通り(都道45号線)に近いところにある<鳥居>と<社号標>。
坂道を50mほど上がって、左手の小さな橋を渡ると下段の境内。赤い屋根の建物は社務所だが無人。御朱印はないようだ。
草木は深いが、よく見ると綺麗に整えられている。
上段の境内までの階段。通称『青梅の出世階段』。一気に上がるタイプなので、運動不足にはこたえる。
階段途中の満開のツツジの株。青梅市観光協会のHPによると、当社はツツジで有名らしい。これが<じゃらん>で人気神社になっている理由みたい。
階段を上がったところにある<手水舎>。
いよいよ<拝殿>。旧村社とのことだが、想像以上に立派で間口が広い。
<拝殿>正面。奥に<本殿>が直接見える。
裏手に廻って<本殿>。拝殿と本殿の間を繋ぐ<幣殿>がないタイプ。
<社殿>全景。拝殿と本殿のバランスからいうと、大きな拝殿に比べて本殿が小さいので、斜めから見ても本殿が見えない。
上段の境内からの景色。写真の左から右に向かって多摩川が流れ、並行してJRが走っている。その両サイドが開けて住宅地となっている。
すてき
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惣一郎1269投稿
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