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楽しみ方青梅六万薬師堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月25日(木) 20時35分08秒
参拝:2026年6月吉日
東青梅駅から徒歩4分ほどの場所にある、宝蔵山光明寺様が管理している仏堂です。
天正18年(1590)6月、豊臣秀吉が行った小田原征伐により北条氏照の部下であった師岡将景の「師岡城」が激しい戦いの末に落城し、その後、近隣一帯に疫病が流行しました。
その時、天寧寺8世・正翁長達和尚が防疫の祈祷と、戦死者の供養のために宗門の僧侶達を招き、法華経六万部を読誦、書写し、ここにお堂を建立したと伝えられています。現在この地を「六万部」と呼ぶのは、これ由来によるものといいます。
その後、宝暦年間(1751〜1764)に火災に遭いすべて焼失しましたが、明和年間(1764〜1772)に
一空休心庵主の発願により再建されました。
しかし、その再建に関する記録は失われてしまいました。
明治16年(1883)1月3日にも近隣の火災に巻き込まれ再び焼失してしまいましたが、翌年、村内の信徒たち20名あまりが再びお堂を建て直しました。
天正18年(1590)6月、豊臣秀吉が行った小田原征伐により北条氏照の部下であった師岡将景の「師岡城」が激しい戦いの末に落城し、その後、近隣一帯に疫病が流行しました。
その時、天寧寺8世・正翁長達和尚が防疫の祈祷と、戦死者の供養のために宗門の僧侶達を招き、法華経六万部を読誦、書写し、ここにお堂を建立したと伝えられています。現在この地を「六万部」と呼ぶのは、これ由来によるものといいます。
その後、宝暦年間(1751〜1764)に火災に遭いすべて焼失しましたが、明和年間(1764〜1772)に
一空休心庵主の発願により再建されました。
しかし、その再建に関する記録は失われてしまいました。
明治16年(1883)1月3日にも近隣の火災に巻き込まれ再び焼失してしまいましたが、翌年、村内の信徒たち20名あまりが再びお堂を建て直しました。
すてき
投稿者のプロフィール
ひなぎく976投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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