御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月
花蔵院ではいただけません
広告

花蔵院のお参りの記録(2回目)
東京都小作駅

投稿日:2021年11月15日(月)
参拝:2021年11月吉日
多摩八十八を吉祥寺から高幡不動まで周った御礼参りと、
奥多摩八十八の八番札所巡り。

奥多摩八十八の御朱印も頂きました。

歩いて番外札所に行く時、道間違えて行き過ぎた為に、
青梅市の歴史を學んだ方が現れ、レクチャーして下さいました。
青梅市に居た豪族(三田氏)が北条家に滅ぼされたとのこと。
奥多摩八十八番外札所は、自然の傾斜利用した、戦国時代の山城だと想った。
その山城を後世に繋ぐ為に、
武田翁さまが、番外札所創ったんじゃーないだろうか?
子孫がバラバラになって、本家がお金なくなった為に、
安土桃山の戦国時代神社や寺があった様ですが、
お寺も神社も無くなってしまった。

平成26年に青梅市郷土博物館が、
企画展「戦国時代の青梅~三田氏の滅亡と北条氏~」やった時に
青梅市民や歴史愛好家向きに、学芸員様が、この辺の歴史物件を
案内したそうで、この八十八番外も入っていたそうな!?

花蔵院さまも修験道のお寺で、
十夜橋の奥多摩八十八の番外札所は、山城。
図書館にもある、
『新奥多摩霊場八十八札所ー風土と周辺の見どころー』の本(桜沢孝平著)
128頁下段に「三田氏一族の武人」とある。
その本によると、友田地区寺社は御岳信仰強く、
このお寺の西方に、バス停の名称になっている、御岳神社がある。友田神社。
その神社、一般人公開されて無いけれど、此処に、
青梅市の重宝寛正四年(1463年)平憲清奉納のモノが在るらしいが観れない。
青梅市の郷土博物館に行ったら写真で拝めるらしい。

平憲清氏は、中世にそまほうのしょうと呼ばれた、
時の支配者武人の三田一族だと書いてあった。
行く前に、予習が必要だよね。
この友田神社とこのお寺は、もともと一つだったらしい。
明治の廃仏毀釈で別れたみたい。
友田御岳神社は毎月九月に獅子舞が行われる。
五穀豊穣と疫病退散祈念を中心にするらしいから、
コロナウイルス対策下でも規模縮小して演るべきだと想った。
これ以上、没落貴族を作らない為にお祭りは必要じゃないかと想った。
最悪テレビやYouTubeなどで獅子舞配信でもやって欲しいと切に願ふ。
花蔵院の山門
花蔵院入口。
花蔵院の本殿
花蔵院本堂 このお寺も“三田氏”家のお寺とされている。
花蔵院の建物その他
花蔵院の寺務所。奥さん親切でした。感謝。
花蔵院の本殿
花蔵院本堂。
花蔵院の末社
奥多摩八十八の札所八番はお墓の上にあった。
花蔵院の末社
奥多摩八十八の石仏さまの八番札所。
花蔵院の末社
奥多摩八十八の仏さまのおうちの中。
花蔵院の末社
奥多摩八十八の仏さまのおうち2
花蔵院の末社
奥多摩八十八の仏さまのおうち3
花蔵院の末社
奥多摩八十八の霊場の裏側から写真撮影。此処都市計画道路らしい。
花蔵院の授与品その他
参拝の御礼として佛さまお下がり。飴玊。
花蔵院の周辺
友田神社(三田氏と関係)は、この辺りおさめていた豪族さまの重要な神社ある。このバスも乗れるが一時間一本くらいなので歩く。
花蔵院の周辺
奥多摩の八十八の札所の番外の佛さまには、このコンビニ前停留所にて降りる。
花蔵院の周辺
介護施設の角曲がり更に右へ。
花蔵院の周辺
この場所は戦国時代青梅おさめていた豪族三田氏のお墓だそうな。
花蔵院の末社
此処が奥多摩八十八の札所の番外のお寺。
花蔵院の末社
扉開けると瑞穂町の開山所の武田翁の石仏さまいらっしゃる!
花蔵院の周辺
奥多摩八十八番外札所の周辺は川。
花蔵院の末社
此れが十夜橋。
花蔵院の歴史
奥多摩八十八のガイドブックの中身に昭和始めの十夜橋の写真あり。
花蔵院の御朱印
奥多摩八十八の御朱印帳無いので自分自身のに押印。母親誕生日だった為に丁度良い記念になった。
花蔵院の御朱印
花蔵院さまが、番外の御朱印も管理されていらっしゃった。

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
花蔵院の投稿をもっと見る5件
コメント
お問い合わせ