あずさみてんじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方阿豆佐味天神社のお参りの記録一覧

延喜式内社多摩郡八座の一つで、寛平4年(892)従五位下、上総介高望王の創建と伝わっています。天正12年、慶長3年の社殿の修復を経て、享保年間、当地方の豪族村山土佐守により社殿の修復が行われました。また、北条氏、徳川氏の崇敬も厚く、多くの神領地を寄進されました。現社殿は明治27年に改修。同6年郷社列格。同19年内務省より、古社として保存資金の下賜を受けました。
西多摩神社誌によると阿豆佐味天神社は「あずさみのあまつかみのやしろ」と読むようです。
誌に記載されている境内社のうち、奥宮(高皇産霊神)と厳島社(市杵島姫神)がどのお社に当てはまるのかがわかりませんでした。奥宮に関しては、もしかしたら裏山の何処かにお社があるのかもしれません。
それ以外にも境内には小さな祠があり、いずれも御祭神は不明でした。




元狭山神社と同じ巨大灯籠がこちらにもありました。









正一位稲荷神社(宇迦之御魂神)

お賽銭箱横のお社と、右下のお社は御祭神がわかりませんでした。

雷神社(鳴雷神)

八幡社(誉田別命)

熊野社(泉津事解男命)



神明宮(天照大御神)
小平にある、小平神明宮はこちらのお社から勧請されたそうです。

お手洗い

お手洗い横に祠がありました。



【武蔵國 式内社巡り】
阿豆佐味天神社(あづさみ・てんじんじゃ)は、東京都西多摩郡瑞穂町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、少彦名命、素戔嗚命、大己貴命の3柱。
創建は不詳。社伝によると、平安時代前期の寛平年間(889年~898年)、桓武平氏の祖・上総介高望王が再建。村山郷の総鎮守で、武蔵七党の一つ、村山党の氏神として崇敬を受けた。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 多磨郡 阿豆佐味天神社 小」に比定されている。江戸時代には幕府から朱印地12石の寄進を受け、享保年間(1716年~1736年)に村山土佐守により社殿の修復が行われた。明治時代に入り郷社に列した。
当社は、JR八高線・箱根ヶ崎駅の東南東2kmの狭山丘陵の南西麓にある。青梅街道(都道5号線)から北に数百m入った住宅街外れにある。長い参道を進むと、後ろに小山を控えた小高い場所に社殿がある。大きな社殿は真っ赤なトタン葺の屋根にいかにも古そうな躯体で時の長さを感じる。一見古そうだが、何気にバリアフリー通路が設置されていたりと、現在でも信仰が篤いことが分かる。
今回は、武蔵国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、境内は自分以外には参拝者はいなかった。

境内南端入口にある<鳥居>と<社号標>。

社殿までまっすぐに伸びる参道を進む。左手は林、右手は住宅街。

社殿は一段高いところにあって、周りには玉垣が巡らしてある。手前の燈籠の形が特徴的。

階段を登ったところから社殿を望む。

階段を登ってすぐ左手にある<狛犬>。顔が横に長いファニーフェイス系。(o^―^o)

階段を登ってすぐ左手にある<狛犬>。子獅子が大きい...(^_^;)

<拝殿>全景。屋根は昭和の高度成長期を感じるトタン葺。

拝殿前右側の簡素な<手水舎>。

向拝の彫刻は鳳凰に龍と、なかなか良い感じ。

<拝殿>正面。扁額はなし。重厚感のある扉がいい。

拝殿の躯体は大きく立派。年季の入り方も良い感じ。

社殿近くにある境内社。

拝殿後ろの<本殿>。拝殿が特に大きいので、本殿が小さく感じる。

社殿近くにある境内社。

社殿を右側から見たところ。拝殿偏重型のバランス。

<御神木>と思われる樹木越しに本殿を望む。

最後にもう一度、本殿を眺めてみる。

平地と比べ社殿が高い場所にあるが、バリアフリー対策がしてある。これは素晴らしい! (o^―^o)

大きめの旧郷社格で広々としており、緑が多くて気持ちが良い。(^▽^)/

武蔵国式内社巡拝で訪れました。
小高い丘を鎮守の杜としており、拝殿の屋根が他に見ない特殊な形をしていました。
普段は無人社ですが、おみくじや絵馬の奉納の数を見る限りお正月はとても賑わったようです。
鳥居
表参道
慰霊碑
参道両脇の石灯籠
獅子・狛犬
手水舎
拝殿
屋根の構造
本殿
末社郡
末社・神明社
東京都のおすすめ3選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ




































24
0