にのみやじんじゃ
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二宮神社ではいただけません
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二宮神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月16日(水)
参拝:2021年5月吉日
二宮神社は、あきる野市にある神社。武蔵国二之宮で、旧社格は郷社。祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)。別称は「小河(おがわ)神社」。古くは「小河大明神」、「二宮大明神」と呼ばれた。
創建は不詳。律令制の時代、当社は武蔵国二之宮であったとされ、武蔵国総社・六所宮(大國魂神社@府中市)に祀られている「武州六大明神」の一つとなっている。
平安時代中期の『和名類聚抄』には、武蔵国多磨郡小川郷の鎮守と記載される。939年の天慶の乱で平将門を討った藤原秀郷が当社を崇敬し、社殿玉垣を造営した。鎌倉時代、源頼朝、北条氏政の崇敬も篤く、こと北条氏照は当社を北条氏の祈願所とした。徳川家康が江戸に入府すると朱印地15石を受けた。なお、現在の社殿は江戸時代に建立されている。
当社は、JR五日市線・東秋留駅の東方300mに位置しており、都道168号線から一段上がった場所に境内がある。境内はそこそこ広く、社殿、境内社以外に小さな博物館(二宮考古館)がある。
今回は武蔵国二之宮ということで参拝。参拝時は週末の午後で、自分以外には地元風の人が数人参拝していた。
※当社は武蔵国二之宮として、大國魂神社(@府中市)に祀られている「武州六大明神」の一角として例大祭「くらやみ祭」に参加している古社だが、六社で唯一、式内社ではない。
創建は不詳。律令制の時代、当社は武蔵国二之宮であったとされ、武蔵国総社・六所宮(大國魂神社@府中市)に祀られている「武州六大明神」の一つとなっている。
平安時代中期の『和名類聚抄』には、武蔵国多磨郡小川郷の鎮守と記載される。939年の天慶の乱で平将門を討った藤原秀郷が当社を崇敬し、社殿玉垣を造営した。鎌倉時代、源頼朝、北条氏政の崇敬も篤く、こと北条氏照は当社を北条氏の祈願所とした。徳川家康が江戸に入府すると朱印地15石を受けた。なお、現在の社殿は江戸時代に建立されている。
当社は、JR五日市線・東秋留駅の東方300mに位置しており、都道168号線から一段上がった場所に境内がある。境内はそこそこ広く、社殿、境内社以外に小さな博物館(二宮考古館)がある。
今回は武蔵国二之宮ということで参拝。参拝時は週末の午後で、自分以外には地元風の人が数人参拝していた。
※当社は武蔵国二之宮として、大國魂神社(@府中市)に祀られている「武州六大明神」の一角として例大祭「くらやみ祭」に参加している古社だが、六社で唯一、式内社ではない。
大通り(都道168号線)沿いにある、境内入口の<鳥居>と<社号標>。
階段を上がったところ。<拝殿>遠景。
参道を進むと左側に<手水舎>。
<拝殿>近景。
<拝殿>正面。
<社殿>全景。
拝殿後ろの<本殿>。本殿は江戸時代の造営で、三間社流造。これは覆屋になっていて、内部には室町時代造営の、一間社、見世棚造、板葺目板打ちの<宮殿>が納められている。
本殿の右側に、本殿に向いた鳥居が立っている。
鳥居の後ろの社殿。稲荷神社、天津社、八雲神社、八幡神社、伊勢神社が合祀されている。
上の境内社社殿の右後ろにある<諏訪神社>。
境内右手の、参道を挟んで手水舎正面の眺め。写真左側が<荒波々伎神社>。奥が<社務所・授与所>。御朱印は(社務所がやっていれば)こちら。2021年5月は2日と16日の10時から14時で、書置きのみ対応とのこと。
階段の上からの眺め。JR五日市線沿線の住宅街が一望できる。
実は大通りの反対側も境内の一部になっている。そこにある<お池>。<千人清水>と呼ばれる湧水で、水の透明度が半端なく、これには驚いた。まるで魚が空中を泳いでいるみたい。調べると<東京都の名湧水57選>の一つとのこと。納得。
すてき
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惣一郎1269投稿
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