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大悲願寺ではいただけません
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大悲願寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月07日(土)
参拝:2021年6月吉日
大悲願寺は、東京都あきる野市にある真言宗豊山派の寺院。山号は金色山。本尊は大日如来。東国花の寺百ヶ寺・東京10番。
当寺は、鎌倉時代前夜の1191年、源頼朝の家来・平山季重が京都醍醐三宝院の澄秀僧正を勧請して開山。室町時代に澄遍僧正が再興、関東管領・足利基氏・氏満父子から秋留郷内に寺領の寄進を受ける。江戸時代の海誉僧正は伊達政宗の末弟で、伊達政宗も度々参拝し、仙台藩との繋がりが続いた。
当寺は、JR五日市線・武蔵増戸駅の西方2km弱の線路近くの山あいにある。境内は裏手に山を控えていて、山門近くには直営保育園がある。東西に伸びる道に沿って横長の境内になっている。このため伽藍の敷地は広くないが門が3カ所ある。東国花の寺百ヶ寺に選ばれているだけあって、境内は整えられた草木が生い茂り自然がいっぱい。
今回は、『東京百の古寺と古社をめぐるガイド』という書籍に記載のある古寺であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、地元の関係者は数人見掛けたが、参拝者は自分以外にはいなかった。
当寺は、鎌倉時代前夜の1191年、源頼朝の家来・平山季重が京都醍醐三宝院の澄秀僧正を勧請して開山。室町時代に澄遍僧正が再興、関東管領・足利基氏・氏満父子から秋留郷内に寺領の寄進を受ける。江戸時代の海誉僧正は伊達政宗の末弟で、伊達政宗も度々参拝し、仙台藩との繋がりが続いた。
当寺は、JR五日市線・武蔵増戸駅の西方2km弱の線路近くの山あいにある。境内は裏手に山を控えていて、山門近くには直営保育園がある。東西に伸びる道に沿って横長の境内になっている。このため伽藍の敷地は広くないが門が3カ所ある。東国花の寺百ヶ寺に選ばれているだけあって、境内は整えられた草木が生い茂り自然がいっぱい。
今回は、『東京百の古寺と古社をめぐるガイド』という書籍に記載のある古寺であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、地元の関係者は数人見掛けたが、参拝者は自分以外にはいなかった。
境内は公道沿いに東西に長く、3つの門がある。こちらは境内南側東寄りにある通用門。奥に<寺務所>がある。
境内南側中央にある<朱雀門>。奥に<本堂>があるが通常門は閉鎖されている。
境内南側西寄りにある<仁王門>。江戸時代末期の1859年再建。三間一戸、入母屋造、銅板葺。ここから境内に入る。
仁王門をくぐる。扁額には<金色山>の文字。
仁王門左側の<吽形仁王像>。
仁王門右側の<阿形仁王像>。
仁王門の天井に描かれている<金剛界花曼荼羅>。郷土の絵師・狩野派の藤原善信による。
正面を向くと、<観音堂(無畏閣)>。江戸時代後期1794年の建立。堂内には、国指定の重要文化財<阿弥陀三尊像>が安置されている。
<観音堂>には細かい彫刻に極彩色が施され、しっとりと落ち着いた美しさがある。
観音堂の左手にある堂宇。
観音堂の左手にある<鐘楼>。江戸時代前期の1672年鋳造。
境内には何本も巨木が立っている。手前はお砂踏み場の石仏。
境内を東向きに進む。本堂手前にある<弘法大師像>。
<本堂>正面。かなり大きい。
本堂前に自生している<萩>。当寺は秋の<萩>の美しさで東国花の寺百ヶ寺に登録されている。
本堂の右手にある<寺務所>。御朱印はこちら。
すてき
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惣一郎1269投稿
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