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總持寺ではいただけません
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總持寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月15日(土)
参拝:2022年10月吉日
正式名:田無山總持寺
通称:田無不動尊
東京都西東京市田無町三丁目にある真言宗智山派の寺院で、江戸時代には尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていた。
創建年代は不詳だが、元和年間(1615〜1624)に法印権大僧都俊栄和尚が谷戸に法界山西光寺として創建し、慶安年間(1648〜1651)に現在地へ移転したと伝えられている。
西光寺(現・総持寺)本堂は、天保11年(1840)、築後140~150年を経たため、本堂建て替え計画が持ち上がり、西光寺の住職恵亮や田無村名主下田半兵衛が中心となり準備が進められた。
嘉永3年(1850)、本堂は完成し、普請成就供養が行われた。その落成を紀念して、境内にケヤキほか数種の樹木を植栽し、その中の一樹が境内にある大ケヤキであると言い伝えられている。
明治8年(1875)、西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併して創建され、田無山総持寺と改称し、現在に至る。
通称:田無不動尊
東京都西東京市田無町三丁目にある真言宗智山派の寺院で、江戸時代には尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていた。
創建年代は不詳だが、元和年間(1615〜1624)に法印権大僧都俊栄和尚が谷戸に法界山西光寺として創建し、慶安年間(1648〜1651)に現在地へ移転したと伝えられている。
西光寺(現・総持寺)本堂は、天保11年(1840)、築後140~150年を経たため、本堂建て替え計画が持ち上がり、西光寺の住職恵亮や田無村名主下田半兵衛が中心となり準備が進められた。
嘉永3年(1850)、本堂は完成し、普請成就供養が行われた。その落成を紀念して、境内にケヤキほか数種の樹木を植栽し、その中の一樹が境内にある大ケヤキであると言い伝えられている。
明治8年(1875)、西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併して創建され、田無山総持寺と改称し、現在に至る。
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竜王1345投稿
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