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ひでどらごん
ひでどらごん
2025年01月14日(火)
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綾瀬駅から北綾瀬駅の方面に少し歩いた先にあります。

●綾瀬駅周辺にひっそりと残る歴史的な足跡

東京都綾瀬駅近辺を歩いていると、現代の喧騒とは対照的に、静かな場所に歴史の痕跡が残されています。江北橋通りを越えた先にひっそりと立つ堂宇がその一例です。この場所はかつて「東渕江村宿添」という名前で呼ばれており、かつて宿泊施設が集まるエリアだったことがうかがえます。道標の残るその一帯には、過去の風景が今も静かに息づいています。
堂宇の近くには、御影石で作られた道標が立っていますが、長い時を経て刻まれた文字はほとんど消えかけています。それでも、この道標は単なる目印以上の存在であり、地域の歴史や人々の移動の記録を伝えている重要な役割を果たしています。道標には、かつての交通路を示す言葉が刻まれており、現代の地名と重ねてみると、当時の生活や道のつながりを感じ取ることができます。

●地名「宿」の背景にある歴史的な出来事

「宿」という地名について調べると、古隅田川の沿岸に宿陣を敷いた源頼朝の伝説に行き着きます。1180年、頼朝が鎌倉へ向かう途中、この地域に足を止め、軍を編成したとされています。この出来事が地域名に影響を与え、その後この辺りは「宿」という名で呼ばれるようになったと考えられています。古代の道と現代の街が交差する場所に立つと、このような歴史的背景に触れることができます。

●庚申塔が語る庶民の信仰

堂宇内に置かれた庚申塔は、元禄13年(1700年)に建立されたもので、庚申信仰の一環として地域の人々によって建てられたとされています。庚申塔は、邪気を払うために建てられることが多く、ここでも信仰心が表れています。塔に刻まれた絵柄には、日月、青面金剛像、三猿、邪鬼などが描かれており、これらは当時の庶民が信じた神や精霊を象徴しています。
さらに、この辺りはかつて「普賢寺村」という名称で呼ばれていました。江戸時代の地図をひも解くと、普賢寺村は曲がりくねった古隅田川沿いに位置しており、その地形や水路が村の特徴を形作っていました。このような地理的背景が、地域の発展や文化形成に深い影響を与えたと考えられます。普賢寺村とその周辺は、農業や商業が行き交う場所として栄え、日々の生活がここで営まれていました。

宿庚申塔(青面金剛像)(東京都)
宿庚申塔(青面金剛像)(東京都)
宿庚申塔(青面金剛像)(東京都)
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名称宿庚申塔(青面金剛像)
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