こうほくひかわじんじゃ
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楽しみ方江北氷川神社のお参りの記録一覧

江北行ってきた、二句頂戴仕候
拝受しました句の一つに僕の日々の思いが
御座いました。親がいてる事の有り難さ
痛感してまたお参りに精を出してますー
そんな事ばかり考えてたら
お腹空いたので、担々麺食べたった😀




荒川沿い。ちょっとにぎやかで、アットホームなお宮。とても珍しい御朱印いただきました。

立派な注連縄

手水舎の八方にらみの獅子。拝殿の鬼瓦だったものだそうです。

にぎやかな社殿前

短歌を詠んだ御朱印。初めてみました。

二つも詠んでいただきました。こちらもいいなあ。

交通機関の問題でなかなか行けないけれど、御朱印が印象的な江北氷川神社さんに憧れていまして、、、友人の車でお参りに行くことが出来ました。

4ページ使いますがよろしいでしょうかとの事。もちろんです❣️

千円を納めました





地口行灯


しおりが挟まれていました

ゆっくりと休むことが出来ます。喫煙スペースも有り〼

足立区西部、江北の閑静な住宅地に佇む江北氷川神社を訪れました。かつて沼田村と呼ばれたこの地の総鎮守として、長きにわたり地域の人々の敬虔な祈りを受けとめてきた古社です。
創建の時期は定かではありませんが、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にもその名が見え、明治期には村社に列せられ、江北村の精神的な支柱として仰がれてきました。主祭神は素盞嗚尊。相殿には奇稲田姫命、大己貴命をはじめ八柱が祀られ、厄除け、安産、家内安全、商売繁盛と、篤く多彩なご神徳が伝えられています。
境内に足を踏み入れると、清々しい空気とともに、悠久の時を刻んだ木々が迎えてくれます。社殿は、天保四年(1833年)建立の本殿と、明治八年(1875年)再建の拝殿からなり、関東大震災や戦災にも耐え抜いた重厚な趣を今にとどめています。
春には、かつて「江北の五色桜」と謳われた桜の名残が彩りを添え、銀杏や山野草が四季折々の風情を醸し出します。都市の喧騒を離れたこの静謐な空間には、祈りの心がしみ渡っているようでした。
また、御朱印には宮司自作の短歌が添えられ、紙面からも神社の温かみと知性が感じられます。例大祭では神楽や獅子舞が奉納され、古式ゆかしき風景が今に息づいています。
江北氷川神社は、ただ祈る場ではなく、心を静め、土地の記憶と向き合う場所。今日もまた、変わらぬ尊き営みが、そっと人々を包み込んでいました。

境内

拝殿

恵比寿・大黒

諏訪神社

祠

昨日も少し遅めの入り時間
だったので1参拝lol
⛩️ 足立区 江北 "江北氷川神社"
鳩ヶ谷街道沿い、目の前には首都高の
高架。荒川もスグ近く。境内Pは中の
空いてるスペースへ。それっぽいのは
中華店のなので注意。少し遠いけど舎人
ライナー江北駅が最寄り、バスも可。
思いのほか青梅街道も環七も空いていた
ので早めに到着。社務所が開く前に参拝。
あちこちに小物で飾らせて独特の雰囲気。
この日も朝からかなり暑く、待っている
だけで汗だくlol時間になって自宅を兼ねた
社務所の中へ… 鈴を鳴らしてお母様?が
対応。
御朱印は珍しいお言葉が書かれた見開き。
2種類あるけどセットになっているそーで
4面分。
暫く待って拝受。心に染みる
有り難いお言葉を頂きました。

拝殿と見開き御朱印2種

一の鳥居と参道

神社横手から入って境内に駐車できます。
御朱印は和歌の入った見開きのもの二体でセットのようです。
(御朱印第666号、第667号)

和歌の御朱印、直書き

和歌の御朱印、直書き

鳥居手前の駐車場は近くの中華屋さん用




拝殿手前右手の御利益のありそうな一角

本日最初の神社です。駐車場がよくわかりませんが境内に求められるみたいです。そのほかは鳥居前の駐車場の一番端に停めていいみたいです。それほど大きな神社ではなく、境内には多く説明文がありますが、雑然としていてよくわかりません。
特に鳥居を潜って左手に鳥居があり、その奥に境内社や祠がいくつもありましたが、全くわかりませんでした。こちらの御朱印は名誉宮司様が短歌を書いていただけることで人気です。1首で500円、2種で1000円の初穂料、見開きになります。何も言わなかったためか2首書いていただき1000円の初穂料をお納めいたしました。ちょっと気になりました。帰宅して4面にわたる御朱印をみていると、いいもんだな~と悦に入りました。御朱印帳ではなく屏風に貼るのもいいのかなと思わせてくれるものでした。



鳥居


忠魂碑








参道

手水舎

八方睨みの獅子





拝殿

扁額

本殿

灯籠


境内社 諏訪神社

諏訪神社前の狛犬



御祭神:素盞嗚尊
相殿神:奇稲田姫命・大己貴命・天照大御神・伊邪那美命・淤母陀琉命
社格:旧村社
御由緒:出雲系氏族・武蔵氏が武蔵国造として移住して来た際、荒川を簸川(肥河の別称あり、島根から鳥取を流域とする一級河川で現在の斐伊川)に見立てて信仰対象としたのが氷川神社の創祀と推測されているが、ここから荒川流域に人の移動が発生し、数多く鎮座する他の氷川神社同様、当社もこの流れの中で創建されたと考えられている。
江戸時代には旧上・下沼田村の鎮守となっており、別当寺は今も隣接する地福寺であった。
氏子からの崇敬は篤く、1699(元禄12)年に氏子中によって奉納された庚申塔も兼ねているという大変珍しい手水鉢などに、その一端が窺える。
1868(明治元)年、村社に列格し鹿浜村、鹿浜新田、加々皿沼村、高野村、沼田村、谷在家村、宮城村、小台村、堀之内村の総鎮守とされた。
なお、この9村は後の1889(明治22)年5月に合併し旧江北村となっているが、当社は各村に鎮座していた17社の総本社として現在でも所管している。
現在の本殿は江戸末期の1833(天保4)年に、拝殿は1875(明治8)年にそれぞれ再建されたといい、震災や空襲の被害も免れ、1984(昭和59)年の大改修を経て現存している。
御朱印は名誉宮司がいらっしゃる時のみ見開きで和歌つきの御朱印を頂けます(和歌は毎年変更)
オリジナルの御朱印帳
表面には社殿と日米友好の証として送られた江北の五色桜。
裏面には米国国会議事堂と江北の五色桜。
氷川神社用に購入しました















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