だいきょうじ(しばまたたいしゃくてん)
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題経寺(柴又帝釈天)ではいただけません
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題経寺(柴又帝釈天)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年10月07日(金)
参拝:2022年10月吉日
22.10.03。京成金町線「柴又駅」より徒歩5分。葛飾区柴又7丁目にある日蓮宗の寺院。
通称《柴又帝釈天》
山号 経栄山
創建 寛永6年(1629年)
開山 ・禅那院日忠上人
(中山法華経寺第19世
・題経院日栄上人
(日忠上人の弟子)
本尊 大曼荼羅
札所等 柴又七福神・毘沙門天
【概要・歴史】
縁起によれば、実際に寺を開いたのは日栄であるとされる。釈迦堂(開山堂)に日栄の木像が安置されていることによる。
中興の祖とされているのが9世の日敬である。彼は一時行方不明になっていた「帝釈天の板本尊」を再発見した人物であるとされる。
その頃より当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。(後略)
〜Wikipedia より引用〜
下町情緒が残る柴又、柴又=昭和&映画「男はつらいよ」の車寅次郎こと寅さん=渥美清さん が懐かしい世代故に楽しい参詣行でした。
通称《柴又帝釈天》
山号 経栄山
創建 寛永6年(1629年)
開山 ・禅那院日忠上人
(中山法華経寺第19世
・題経院日栄上人
(日忠上人の弟子)
本尊 大曼荼羅
札所等 柴又七福神・毘沙門天
【概要・歴史】
縁起によれば、実際に寺を開いたのは日栄であるとされる。釈迦堂(開山堂)に日栄の木像が安置されていることによる。
中興の祖とされているのが9世の日敬である。彼は一時行方不明になっていた「帝釈天の板本尊」を再発見した人物であるとされる。
その頃より当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった。(後略)
〜Wikipedia より引用〜
下町情緒が残る柴又、柴又=昭和&映画「男はつらいよ」の車寅次郎こと寅さん=渥美清さん が懐かしい世代故に楽しい参詣行でした。
御首題
金町駅前に《寅さん像》
参道入り口
お題目塔
参道右手に
↓
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二天門
寺号標
扉の彫刻
↓
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門より帝釈堂
門をくぐり右手に
門をくぐり左手に《大鐘楼》
参道左手に《浄行堂》と《常香炉》
浄行菩薩
浄行堂の隣に《御神水》
帝釈堂の左手前に《瑞龍の松》
帝釈堂
堂内は撮影NG❗️
こちらで書き置きの御朱印を拝受。
堂内は撮影NG❗️
こちらで書き置きの御朱印を拝受。
帝釈堂の彫刻
↓
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帝釈堂前右手に《水屋》
手水鉢
本堂と釈迦堂(右)方向
※釈迦堂は近景漏れです。
※釈迦堂は近景漏れです。
本堂(祖師堂)
釈迦堂の右隣に《観音菩薩座像》
元は富士山頂にあったものらしい。
元は富士山頂にあったものらしい。
すてき
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こばけん1121投稿
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