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東京都葛飾区堀切にひっそりと佇む浄慶庵は、真言宗豊山派の寺院で、正王寺に所属する庵室です。
浄慶庵は、江戸時代の下千葉村の郷士、相川重右衛門によって創建されたと伝えられています。正確な創建年代は不明ですが、相川家の墓が多く存在し、その歴史が深いことがうかがえます。境内の道は曲がっており、この曲がりは江戸時代の地図にも明治時代の地図にも同様に描かれており、古くからの道が今も残っていることを示しています。明治時代以前は北側が農地で、民家は南側に集中していたそうです。
●石仏の紹介
浄慶庵に足を踏み入れると、まず目に入るのが三基の石仏です。それぞれが独特の風貌を持ち、歴史的な価値を感じさせてくれます。
・駒型の庚申塔(寛文8年・1668年)
右端に位置するこの庚申塔は、上部に日月、下部に二猿が彫られた珍しい形状です。正面には「奉造立石塔一宇庚申供養二世安樂所」と刻まれており、庚申信仰に基づく供養塔です。
・板碑型の庚申塔(明暦2年・1656年)
中央にあるこの庚申塔は、さらに古いもので、「奉待庚申供養二世安樂成就攸」と刻まれています。施主の名が「武刕江戸田所町 小▢▢左衛門」と記されており、田所町は現在の日本橋堀留町にあたります。
・不動明王像(明和6年・1769年)
左に位置する不動明王像は、明和6年(1769年)に造立されたもので、竿部には「奉供養日本廻国 浄苑 恵観」と刻まれ、側面には「法界会識永離宮苦道」の文字があります。信仰深い供養の意が込められています。
墓所と供養塔
浄慶庵の左脇には板碑型と自然石の供養塔があります。左の板碑型供養塔は寛文8年(1668年)に造立され、右の自然石の供養塔は造立年が不詳ですが、どちらも古い墓石として貴重なものです。特に左の墓石には「相川」と刻まれており、相川家のものと考えられます。
本堂の裏手には相川家の墓所があり、その手前には寛文4年(1664年)に造立された板碑型の供養塔があります。この供養塔は湯殿山の供養として建立されたもので、「奉造立石佛一基湯殿山供養二世成就之所」と刻まれています。湯殿山のみを対象とする供養塔は珍しく、信仰の特色が感じられます。
●現在の浄慶庵
正王寺所属の庵室で、本尊には不動明王が祀られています。荒綾八十八ヶ所霊場の掛番札所としても知られております。
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