あおとじんじゃ
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楽しみ方青砥神社のお参りの記録一覧
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環状七号線と水戸街道が交わる交通量の多い一角、さらに中川の堤防もほど近い場所に、青砥神社は鎮座しています。周囲には高層マンションが建ち並び、都市の中の神社という印象ですが、鳥居をくぐると境内は意外なほど緑が多く、外の喧騒が和らぎます。
境内はよく手入れされ、木々に囲まれた落ち着いた空間が広がっています。参拝を終えると、ここが近隣の兼務社の御朱印を取り扱う拠点であることをあらためて実感します。福森稲荷神社の御朱印もこちらでいただき、川沿いに静かに佇む小社の姿が思い出されました。
大通りに面しながらも、地域の信仰を静かに支えてきたことが感じられる神社で、都市と信仰が共存する東京らしい一社でした。

葛飾区青戸に鎮座します。天正4年(1576)の創始と伝え、当初は猿田彦命、建御名方命、宇迦之御魂命の三柱を祀り『三社明神』と称しました。
明治5年に社名を白髭神社と改称、昭和18年青砥4丁目の白山神社を合祀し青砥神社と改称。
昭和35年、旧青砥町内に鎮座する高木神社、八幡神社、北野神社、葛葉稲荷神社、水神社を合祀。
さらに環状七号線の整備により、葛西城趾鎮座の青砥藤綱神社を合祀して、御祭神は九柱となり現在に至ります。
神社の近くには東京都指定史跡になっている葛西城趾があります。
社務所にて直書きの御朱印を拝受しました。葛西神社と同じくこちらもイチョウがとても綺麗でした✨天気が良ければもっと映えたんだろうなぁ。葛西城趾も散策したかったのですが、時間に余裕がなく諦めました。
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かつては白髭・諏訪・稲荷の三柱を祀っていた事から「三社明神社」と称された。
明治になり「白髭神社」へ改称、昭和十八年(1943)に「白山神社」を合祀し現在の「青砥神社」へ改称、さらに戦後になり青戸地区の5社を合祀している。
その後、葛西城址の「青砥藤綱神社」も合祀したため現在は9柱の神を祀る。
「万葉集」巻十四の東歌に
にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも
とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいた事が窺えます。また青戸付近は良質粘土の原産地として早くも古墳時代より土器作りを主要とした人々の生活の地でもありました。
このように祭事に深く関わり営まれた信仰の地は葛西御厨(伊勢神宮の神領地)として応年五年(1398)下総国葛西御厨注文(鏑矢伊勢宮方記)に見えています。
その後、幾多の戦や行政の変遷などにも揺らぐことなく受け継がれ、三社明神(稲荷・白髭・諏訪)と称し、この里の鎮守神と崇られた様子が天正丙子年(1576)頃から文献等にみえ、その広大無辺の御神徳はこの里に人々が暮らしはじめてから千有余年変わることなく今を生きる皆様の上にも遍く日夜加護されております。
明治の御代に入り、詔によって神社の正実を明らかにすることとなり、同五年社名を白髭神社と改称。その後、昭和十八年九月には旧青戸4丁目鎮座の白山神社を合祀して青砥神社と改め直し、さらに昭和三十五年旧青戸町内に鎮座せる高木神社・八幡神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社を合祀申し上げ今日に至っております。
このように悠久の時を経て、当神社は氏子・崇敬者の方々の『こころの故郷』としてこの地にお鎮まりになっておられます。

産土神様に
ご挨拶に行かなければ…
と、その思いが強くなり
行ってきました。
このあたりの様々な神社を
合祀し稲荷、白髭、諏訪の三社明神~
白髭神社になり
それから
白山神社をあわせて青砥神社に改名
他後に、
高木・八幡・北野・葛葉稲荷神社・水神社も合祀。
だから沢山の御祭神
以下
猿田彦命(さるたひこのみこと) 進むべき道に正しく導いてくださいます
健御名方命(たけみなかたのみこと) 調和と団結の心を与えてくださいます
宇迦之御霊命(うがのみたまのみこと) 豊かな恵みと心に憩いを与えてくださいます
伊耶那美命(いざなみのみこと) 万物の母神としてお守りくださいます
高皇産霊神(たかむすびのかみ) 生成を司り殖産興業をお佑けくださいます
誉田別尊(ほんだわけのみこと) 私たちを邪神からお守りくださいます
菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 知識教養を与えてくださいます
彌都波能目神(みずはのめのかみ) 汚れを祓い身心健全を授けてくださいます
青砥藤綱公(あおとふじつなこう) 千辛万苦に際し天佑神助を取り持つ神様です
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最近の神社は社殿より社務所のほうが大きいと思うのはわたしだけでしょうか?小さな神社ですが、鳥居をくぐって駐車スペースがありました。普段は停められないと思ったほうが良いと思います。先客がおられ、こちらも付近の住民に愛されているのが伺えます。流石下町!境内社が見当たらなかったのはその歴史にあるようです。以前は三社明神と称し(稲荷・白髭・諏訪)この地の鎮守でした。その後白髭神社になり、白山神社江\を合祀して青砥神社になりました。さらに付近の高木神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社・青砥藤綱神社を合祀しています。多くの隠者を合祀しているため境内社にする必要がなかったのでしょう。流れるような筆致の書き置きの御朱印を戴くと葛西城址とあり、城跡だったことがわかります。お城は明暦の大火の折、江戸城再建の為資材の為の破却されたそうですが、神社は脈々と続いていることに感慨深いものがあります。
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