あおとじんじゃ
青砥神社東京都 青砥駅
午前9時~午後4時
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
西亀有の髙木神社の御朱印を戴きに再訪致しました。小さいながらいつ来ても気持ちの良い神社です。かわいらしい招き猫のおみくじを戴きました。茅の輪がありましたが、建部大社で巡ってきたので今回はパス。タオルまで戴いてしまいました。
手水舎
茅の輪
拝殿
扁額
招き猫みくじ
かつては白髭・諏訪・稲荷の三柱を祀っていた事から「三社明神社」と称された。
明治になり「白髭神社」へ改称、昭和十八年(1943)に「白山神社」を合祀し現在の「青砥神社」へ改称、さらに戦後になり青戸地区の5社を合祀している。
その後、葛西城址の「青砥藤綱神社」も合祀したため現在は9柱の神を祀る。
「万葉集」巻十四の東歌に
にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも
とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいた事が窺えます。また青戸付近は良質粘土の原産地として早くも古墳時代より土器作りを主要とした人々の生活の地でもありました。
このように祭事に深く関わり営まれた信仰の地は葛西御厨(伊勢神宮の神領地)として応年五年(1398)下総国葛西御厨注文(鏑矢伊勢宮方記)に見えています。
その後、幾多の戦や行政の変遷などにも揺らぐことなく受け継がれ、三社明神(稲荷・白髭・諏訪)と称し、この里の鎮守神と崇られた様子が天正丙子年(1576)頃から文献等にみえ、その広大無辺の御神徳はこの里に人々が暮らしはじめてから千有余年変わることなく今を生きる皆様の上にも遍く日夜加護されております。
明治の御代に入り、詔によって神社の正実を明らかにすることとなり、同五年社名を白髭神社と改称。その後、昭和十八年九月には旧青戸4丁目鎮座の白山神社を合祀して青砥神社と改め直し、さらに昭和三十五年旧青戸町内に鎮座せる高木神社・八幡神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社を合祀申し上げ今日に至っております。
このように悠久の時を経て、当神社は氏子・崇敬者の方々の『こころの故郷』としてこの地にお鎮まりになっておられます。
名称 | 青砥神社 |
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読み方 | あおとじんじゃ |
参拝時間 | 午前9時~午後4時 |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3602-9585 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.aoto-jinja.com/index.html |
ご祭神 | 《合》誉田別尊,伊弉冊命,天満大神,水波能売命,《主》猿田彦命,健御名方命,宇迦之御魂大神 |
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創建時代 | 1576年(天正4年) |
体験 | 御朱印 |
概要 | 青砥神社(あおとじんじゃ)は、東京都葛飾区青戸の神社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 1576年(天正4年)に創建された。青戸村の鎮守であった。当初の祭神は猿田彦命、健御名方命、宇迦之御霊命で、「三社明神」と称していた[1]。 その後、1872年(明治5年)に「白髭神社」に改称、1943年(昭和18年)に白山神社を合祀して「青砥神社」に改称した。戦後も1960年(昭和35年)に青戸地区にあった高木神社・八幡神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社の5社を合祀、昭和後期に環状七号線の用地上にあった葛西城址の青砥藤綱神社を合祀し、最終的に祭神は9柱となった[2]。 現在の社殿は、5社合祀後の1961年(昭和36年)に造営されたものである[1]。 ^ a b 葛飾...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 青砥駅より徒歩15分。 |
引用元情報 | 「青砥神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9D%92%E7%A0%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98701653 |
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