ころくじんじゃ
胡録神社のお参りの記録一覧
荒川の近くに鎮座する神社です。荒木記念東京リバーサイド病院の向かいにあるため、病院を訪れる方にも多く参拝されているようです。社務所は不在のこともあるようですが、書き置きが用意されています。
午後に会社の研修があるため午前中は仕事が無し。その前にと『行きたいリスト』から選びました。
他に参拝者も無いため駐車場も貸切でしたが、他に車が止まってたら切り返しとかしづらそうな感じでした。
境内は陽当りバッチリで気温が更に高く感じます。拝殿前にミストが出ていてオアシスです。
神主さんは不在の張り紙があり、書置きの御朱印をいただきました。
他に月詣りタイプと七夕タイプなど何種類もありました
境内は陽射しを遮る木々が無いので、暑さを更に厳しく感じます
本日最後の神社です。江戸のはずれ千住!石濱神社よりテクテク1キロの道のりを歩きました。川沿いの道は桜の時期は良いのですが、まだ時期が早く、晴れていても風が冷たいので住宅街を通りました。廻りは高層団地群、東京大空襲や関東大震災の教訓から道は広く、火除け地として立派な公園があります。同じ東京といえども私の住む地区とは都市建設のスタンスが違います。こちらの神社も神社も近年遷座したので切れ印整備されています。印象的には石濱神社と同様、開放的な空間になっていました。御朱印は書置きのみで、多くの種類があり迷ってしまいましたが、基本に一番近いことから選んだのが節分の御朱印。帰宅してよく見ると日付が3日、当然といえば当然だが少し後悔。
社号標
一の鳥居
手水舎
臼
狛犬
最初は気が付きませんでした
二の鳥居
拝殿
扁額
本殿
狛犬
灯籠
神楽殿
境内社 刀塚
境内社 道祖神
胡録神社は、永禄四年八月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門(たかだかさえもん)なる者戦に敗れ、計らずも集いたる十二名の同志と、関東に厄難を逃れて落ちのび、当地の汐入に高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し、村落生活の安寧を祈願するため、守護神として永禄四年九月十九日、面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられます。
当社は古くは大六天と称したが明治二年太政官達により、神仏分離がされた際、往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事と、また、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、御社号を胡録神社と改称されました。
神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものです。
汐入の辺りはその昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉という人形の上塗りの塗料を造り出荷する生業が盛んであったが、境内には古き石臼が奉納されています。
八代目嘉左衛門の頃には、汐入大根の栽培地と変革し人気の高い作物であったが、今はその畑もなく、昭和末頃から汐入地区の再開発計画が進められ、平成の初期には見られた木造建築の旧家も取り壊され、多くの地主は、高層住宅へとその生活を移されました。
当社もその限りにあらず、平成十年の計画により、境内地を前方に遷座する事となりました。
今日は重陽の節句で限定御朱印を頂ける神社がたくさんあるということで会社を休み、色々な神社をまわりました。
元三島神社
↓
下谷神社
↓
胡録神社
↓
素盞雄神社
↓
浅草神社
↓
熊野神社
↓
居木神社
と、全部で7社。
重陽の節句限定御朱印が頂けるということで行きました。
南千住駅で下車し徒歩で15分程だったかな。
マンション郡の中に鎮座する神社だったので周囲に木が少なく、かつ炎天下だったので境内はかなり暑かったです。
ただ、鳥居からミストが出ていて気持ちよかったし、社務所の脇に麦茶入りのシャモダルが置いてあり自由に飲める心遣いがありがたかったです。
重陽の節句の御朱印が数種類用意されていましたが、全部は無理なので一種類だけ頂きました。
鳥居
石臼???
手水舎
本殿向かって左の狛犬
本殿向かって右の狛犬
社務所 脇に麦茶が用意されており、炎天下の中徒歩で来た私は助かりました。
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