ほうどういん|真言宗智山派|医王山
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楽しみ方寳幢院のお参りの記録一覧

直書きにて御朱印を拝受しました。
江戸時代中期に造立されたという道標を見ることができます。街道の歴史を感じますね。
車通りのはげしい場所ですが、一歩中に入るとやはり空気が違いました。








ゆっくりゆっくりの豊島八十八ヶ所巡りをまたひとつ…。ようやく16ヶ所目です。
丁寧な御対応で、書き入れていただきました。
暑い中の参拝のご心配も頂き恐縮です。気を付けます^_^
赤羽駅から赤羽八幡神社さんへ歩いている途中、交差点を線路の反対側に渡って、ほんの少し歩くとこちらへ。
今まで何度も八幡神社さんへ来ていたのに、もっと赤羽岩淵駅寄りかと思っていたので、改めて場所を調べてみて良かったです^_^:

書き入れていただきました。

正面門は閉まっていましたが右手横を開けてあり入れました。


正面入り口外の左手に。



正面入口外の左手に。

ご本堂

ガラスが反射してしまいましたが…

ガラスが反射してしまいましたが…




宝幢院(ほうどういん)は、東京都北区赤羽三丁目にある真言宗智山派の寺院で、山号は医王山、寺号は東光寺。本尊は薬師如来。豊島八十八ヶ所霊場第45番札所、北豊島三十三ヶ所霊場第12番札所に数えられている。
● 創建と中興の歴史
宝幢院は、寛正2年(1461)、宥鎮和尚によって開かれた。約150年後には深承阿闍梨および宥意和尚によって中興され、慶安2年(1649)には徳川三代将軍家光から寺領10石余の朱印地を与えられている。
● 浮間から赤羽への移転
かつては浮間村西野(現・浮間4丁目付近)にあり、洪水の多発する地域であったため、荒川の氾濫を避けて赤羽に移転したとされる。旧地は「宝幢院屋敷」と呼ばれ、現在の妙智院観音寺付近とも伝えられる。
● 赤羽八幡神社との関係
明治の神仏分離令までは、隣接する赤羽八幡神社の別当寺を務めていた。神社と寺院の関係が密接だったことから、地域の信仰拠点として重要な役割を果たしていた。
● 交通の要衝を示す道標
寺の前には江戸中期に作られた道しるべがあり、「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国富士道 板橋道」「南 江戸道」と刻まれている。当時の交通の要衝であったことがうかがえる。
● 境内の文化財と石塔群
境内には区内最古とされる寛永16年(1639)の阿弥陀如来線刻庚申塔がある。庚申塔には阿弥陀如来と2猿の姿が刻まれ、「山王廿一社」の文字も見える。庚申信仰と山王信仰の融合が示唆されている。他にも馬持講中の馬頭観音塔や出羽三山供養塔など、地域の信仰と暮らしを物語る石造物が残る。



















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