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静勝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月02日(木)
参拝:2022年9月吉日
正式名:自得山靜勝禪寺
通称:静勝寺
東京都北区赤羽西1丁目にある曹洞宗の寺院。
当寺院を含め、元々当地一帯は稲付城と呼ばれていた城があったところと言われている。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したと伝わる。
道灌の孫である太田資高、およびその子太田康資が2代にわたり当地に館を築いていたが、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になった。
静勝寺の由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1504年に城の一角に彼を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまる。
その後、明暦元年(1655)、道灌の子孫の太田資宗が堂などを整備して中興、道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改めたと言われている。
江戸時代を通じて、静勝寺は太田氏の菩提寺とされ、道灌堂(太田道灌像を祀る堂、1715年建立)、旧本堂(現在の弁天堂、1694年建立)などを造営するなど深くかかわっていた。
関東大震災後の1928年、現在の本堂が完成した。観音堂は2007年に建立された。
稲付城跡を含め、当寺院一帯は東京都の史跡になっている。
通称:静勝寺
東京都北区赤羽西1丁目にある曹洞宗の寺院。
当寺院を含め、元々当地一帯は稲付城と呼ばれていた城があったところと言われている。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したと伝わる。
道灌の孫である太田資高、およびその子太田康資が2代にわたり当地に館を築いていたが、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になった。
静勝寺の由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1504年に城の一角に彼を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまる。
その後、明暦元年(1655)、道灌の子孫の太田資宗が堂などを整備して中興、道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改めたと言われている。
江戸時代を通じて、静勝寺は太田氏の菩提寺とされ、道灌堂(太田道灌像を祀る堂、1715年建立)、旧本堂(現在の弁天堂、1694年建立)などを造営するなど深くかかわっていた。
関東大震災後の1928年、現在の本堂が完成した。観音堂は2007年に建立された。
稲付城跡を含め、当寺院一帯は東京都の史跡になっている。
すてき
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竜王1378投稿
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