じょうかんじ|真言宗豊山派|平塚山
城官寺のお参りの記録一覧
城官寺は、三代将軍徳川家光の病を治して信頼を得た山川城官貞久がこの寺に入り、平塚神社ともども再興したとされます。徳川家の侍医・多紀桂山一族の墓があり、東京都指定史跡となっています。(北区ページより)
山門にかかげられた「平塚山」は、城官寺三百年を記念して書かれた当時の内閣総理大臣 田中角栄氏の筆によるもの。
御朱印は本堂の前に書置きで用意されたものを自分で日付を記入する形だ。
ずっとお寺を廻り思ったのは、お寺は個人の家という感じがしてしまい、声をかけるよりも、こんな形の方がありがたく感じるのだ。
田中角栄氏が内閣総理大臣の時に、山門の字を書いたということであるが、真言宗寺院では田中角栄氏の話を聞く事が多い。
田中角栄の達筆な字に見惚れつつも、今の増税総理はどうなんだろう?と比較してしまうのだった。
ツツジ共に 過去から今へ 手を合わせ
上中里駅から坂を登って5分。
御府内八十八箇所第47番札所の真言宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来。
元々は、筑紫国の僧侶が宿泊の際に阿弥陀如来を安置した事が始まりとされています。
御朱印は書き置きでセルフとなっていました。
山門です。
燈籠の台座は、菩薩様でしょうか?
山号の扁額は、田中角栄書と記されています。
ピカチュウとクマもん。
本堂です。
城官寺(じょうかんじ)は、北区上中里にある真言宗豊山派の寺院。山号は平塚山、院号は安楽院。本尊は阿弥陀如来。
もともとは、筑紫国の安楽寺の僧侶が諸国巡礼の折、当地に宿泊し、阿弥陀如来像を安置し寺院を創建したことに始まる。当初は浄土宗の寺院であった。
江戸期に入り、江戸幕府に仕えていた山川貞久(城官)という鍼灸師が、三代将軍・徳川家光が病で倒れた時に、豊島郡の平塚明神(現・平塚神社)に日夜病気平癒を祈ったところ治癒したため、私財を投じて平塚明神を再建し、1634年にはその別当として当寺をも復興し真言宗の寺院とした。
その後1640年に徳川家光が鷹狩りの折、当地を訪問、豪華な平塚神社を見てその造営について村長に尋ね、山川貞久の話を聞くに及ぶと家光は感激し、平塚神社と当寺に社領50石を、山川貞久本人には知行地200石を与え、寺号を平塚山城官寺安楽院とするよう命じたとのこと。
当寺は、JR京浜東北線・上中里駅の南方0.2kmの住宅街の中にある。車だと本郷通りからちょっと入った場所になる(平塚神社は本郷通りに面している)。
参拝時は週末の夕方で、自分以外に参拝者はいなかった。参拝時は、平塚神社との関係を知らなかったため、平塚神社には参拝しなかったが、参拝すべきだったと、ちょっと後悔。
山門。
境内全景。
水屋。
本堂。
寺務所。
御朱印はセルフ式。
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