じょうかんじ
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城官寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月09日(火)
参拝:2021年3月吉日
城官寺(じょうかんじ)は、北区上中里にある真言宗豊山派の寺院。山号は平塚山、院号は安楽院。本尊は阿弥陀如来。
もともとは、筑紫国の安楽寺の僧侶が諸国巡礼の折、当地に宿泊し、阿弥陀如来像を安置し寺院を創建したことに始まる。当初は浄土宗の寺院であった。
江戸期に入り、江戸幕府に仕えていた山川貞久(城官)という鍼灸師が、三代将軍・徳川家光が病で倒れた時に、豊島郡の平塚明神(現・平塚神社)に日夜病気平癒を祈ったところ治癒したため、私財を投じて平塚明神を再建し、1634年にはその別当として当寺をも復興し真言宗の寺院とした。
その後1640年に徳川家光が鷹狩りの折、当地を訪問、豪華な平塚神社を見てその造営について村長に尋ね、山川貞久の話を聞くに及ぶと家光は感激し、平塚神社と当寺に社領50石を、山川貞久本人には知行地200石を与え、寺号を平塚山城官寺安楽院とするよう命じたとのこと。
当寺は、JR京浜東北線・上中里駅の南方0.2kmの住宅街の中にある。車だと本郷通りからちょっと入った場所になる(平塚神社は本郷通りに面している)。
参拝時は週末の夕方で、自分以外に参拝者はいなかった。参拝時は、平塚神社との関係を知らなかったため、平塚神社には参拝しなかったが、参拝すべきだったと、ちょっと後悔。
もともとは、筑紫国の安楽寺の僧侶が諸国巡礼の折、当地に宿泊し、阿弥陀如来像を安置し寺院を創建したことに始まる。当初は浄土宗の寺院であった。
江戸期に入り、江戸幕府に仕えていた山川貞久(城官)という鍼灸師が、三代将軍・徳川家光が病で倒れた時に、豊島郡の平塚明神(現・平塚神社)に日夜病気平癒を祈ったところ治癒したため、私財を投じて平塚明神を再建し、1634年にはその別当として当寺をも復興し真言宗の寺院とした。
その後1640年に徳川家光が鷹狩りの折、当地を訪問、豪華な平塚神社を見てその造営について村長に尋ね、山川貞久の話を聞くに及ぶと家光は感激し、平塚神社と当寺に社領50石を、山川貞久本人には知行地200石を与え、寺号を平塚山城官寺安楽院とするよう命じたとのこと。
当寺は、JR京浜東北線・上中里駅の南方0.2kmの住宅街の中にある。車だと本郷通りからちょっと入った場所になる(平塚神社は本郷通りに面している)。
参拝時は週末の夕方で、自分以外に参拝者はいなかった。参拝時は、平塚神社との関係を知らなかったため、平塚神社には参拝しなかったが、参拝すべきだったと、ちょっと後悔。
すてき
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惣一郎1269投稿
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