とげぬきじぞうそんこうがんじ
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とげぬき地蔵尊 高岩寺ではいただけません
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とげぬき地蔵尊 高岩寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月09日(火)
参拝:2021年3月吉日
高岩寺(こうがんじ)は、豊島区巣鴨にある曹洞宗の寺院。山号は萬頂山(ばんちょうざん)。本尊は地蔵菩薩(延命地蔵、通称とげぬき地蔵、秘仏)。通称「とげぬき地蔵」。
江戸期前夜の1596年、扶岳太助が神田湯島に創建、のちに下谷屏風坂に移転、明治期の1891年に現在地の巣鴨に移転。1945年の米軍による東京大空襲で建物がすべて焼失、1957年に再建。
「とげぬき地蔵」の由来は、江戸期に武士の田付又四郎の妻が病に伏し瀕死の折、又四郎の夢枕に立つ地蔵菩薩のお告げに従い地蔵の姿を印じた紙(当寺で領布する「御影」のルーツ)1万枚を川に流すと妻の病が治癒した。その後、毛利家の女中が針を誤飲した折、地蔵菩薩の「御影」を飲み込むと針を吐き出すことができ、吐き出した「御影」に針が刺さっていたという伝承による。ここから、他の病気の治癒改善にも御利益があるとされ、現在でも高齢者を中心に参拝者が絶えない。
当寺は、JR山手線・巣鴨駅の西北方0.2km、巣鴨地蔵通り商店街の入口にある。大きな本堂の前はちょっとした広場になっていて、コロナ前はくつろげるベンチもあった(現在使用禁止)。
参拝時は週末の夕方で、参拝者か観光者か地元民かは判別不能だが、お賽銭をしてお祈りをする人はたくさんいた。
江戸期前夜の1596年、扶岳太助が神田湯島に創建、のちに下谷屏風坂に移転、明治期の1891年に現在地の巣鴨に移転。1945年の米軍による東京大空襲で建物がすべて焼失、1957年に再建。
「とげぬき地蔵」の由来は、江戸期に武士の田付又四郎の妻が病に伏し瀕死の折、又四郎の夢枕に立つ地蔵菩薩のお告げに従い地蔵の姿を印じた紙(当寺で領布する「御影」のルーツ)1万枚を川に流すと妻の病が治癒した。その後、毛利家の女中が針を誤飲した折、地蔵菩薩の「御影」を飲み込むと針を吐き出すことができ、吐き出した「御影」に針が刺さっていたという伝承による。ここから、他の病気の治癒改善にも御利益があるとされ、現在でも高齢者を中心に参拝者が絶えない。
当寺は、JR山手線・巣鴨駅の西北方0.2km、巣鴨地蔵通り商店街の入口にある。大きな本堂の前はちょっとした広場になっていて、コロナ前はくつろげるベンチもあった(現在使用禁止)。
参拝時は週末の夕方で、参拝者か観光者か地元民かは判別不能だが、お賽銭をしてお祈りをする人はたくさんいた。
当寺は<巣鴨地蔵通商店街>の看板手前の右手にある。
山門。2つの赤い提灯が分かりやすい。
山門くぐって右手にある<水屋>。
本堂。
本堂内部。
本堂内の右手に授与所。御朱印はこちら。名物の「御影」もこちらで領布。
境内左手。
こちらも有名は<洗い観音>。体の治したい部分を濡らしたタオルで拭くと治るとされる。すごい行列になることもあるらしい。
洗い観音の右手にある<小僧稲荷>。
小僧稲荷の右手にあるお地蔵さま。
境内全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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