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吉祥寺ではいただけません
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吉祥寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年01月22日(金)
参拝:2021年1月吉日
文京区本駒込にある曹洞宗の寺院。吉祥寺(きちじょうじ)は、山号は諏訪山。本尊は釈迦如来。1458年創建。太田道灌が開祖。群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺。
創建時、江戸城西の丸に建立されたが徳川家康関東入府で駿河台に移転、その後江戸時代の2度の大火で現在地に移転。
江戸時代には、境内に学寮「旃檀林(せんだんりん)」が作られ、幕府の学問所「昌平黌」と並び、漢学の一大研究地となった。寺堂は戦前まで七堂伽藍を誇っていたが東京大空襲に遭い、山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)以外すべて焼失。
江戸初期の人気小説、井原西鶴の『好色五人女』で「八百屋のお七」の話の舞台として登場する。
23区内でも屈指の広さの境内は、草木のきれいな時期だと散策に良いかも。墓地部分も多いが江戸時代の旗本などの墓で、後見人がいないものも多数とのこと。参拝時は週末の午後、参拝者はほとんどいなかった。
創建時、江戸城西の丸に建立されたが徳川家康関東入府で駿河台に移転、その後江戸時代の2度の大火で現在地に移転。
江戸時代には、境内に学寮「旃檀林(せんだんりん)」が作られ、幕府の学問所「昌平黌」と並び、漢学の一大研究地となった。寺堂は戦前まで七堂伽藍を誇っていたが東京大空襲に遭い、山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)以外すべて焼失。
江戸初期の人気小説、井原西鶴の『好色五人女』で「八百屋のお七」の話の舞台として登場する。
23区内でも屈指の広さの境内は、草木のきれいな時期だと散策に良いかも。墓地部分も多いが江戸時代の旗本などの墓で、後見人がいないものも多数とのこと。参拝時は週末の午後、参拝者はほとんどいなかった。
1802年建造の<山門>。写真は広角で撮ったので小さく見えるが、実際はどっしりと威風堂々とした山門。
扁額には、学寮「旃檀林(せんだんりん)」の文字。
山門をくぐったところ。都内屈指の長い参道。
参道左手にある<茗荷稲荷神社>。
参道左手にある<お七・吉三郎比翼塚>。吉祥寺を舞台とした「八百屋のお七」の悲恋の話の二人を供養する。
(ただし井原西鶴の小説『好色五人女』上の話で、実際の舞台は別の寺。)
(ただし井原西鶴の小説『好色五人女』上の話で、実際の舞台は別の寺。)
参道左手にある<大仏様>。
境内を一望。御朱印は写真右手の寺務所でもらえるが、コロナ緊急事態宣言中につき、
檀家以外は寺務所入館禁止で、御朱印も領布していないとのこと。
檀家以外は寺務所入館禁止で、御朱印も領布していないとのこと。
本堂。
<諏訪山>の扁額。
1804年建造の<経蔵>。
鐘楼。
すてき
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惣一郎1269投稿
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