えんじょうじ|天台宗|南縁山
圓乘寺のお参りの記録一覧
円乗寺(えんじょうじ)は、東京都文京区白山に位置する天台宗の寺院です。山号は南縁山、院号は正徳院と称し、本尊は釈迦牟尼如来を祀っています。その歴史や由緒ある背景から、多くの人々に知られています。
●創建と歴史的背景
円乗寺の創建は天正9年(1581年)に遡ります。当初は「密蔵院」として円栄法印により本郷の地で開かれましたが、元和6年(1620年)に宝仙法師が寺号を「円乗寺」に改めました。その後、寛永8年(1631年)から明暦3年(1657年)にかけて、現在地である文京区白山に移転しました。江戸時代には1,770坪の広大な境内を有していましたが、戦後の混乱期に一部を地域に分け与えたと伝えられています。
●八百屋お七の物語と墓所
円乗寺は、恋に生きた悲劇の少女「八百屋お七」と深い関わりがあります。お七の家族は天和2年(1682年)の大円寺出火で被災し、円乗寺に避難しました。その後、お七は寺で出会った小姓・山田佐兵衛との恋心から放火を行い、天和3年に火あぶりの刑に処されました。円乗寺境内にはお七の墓が3基あり、中央の墓は寺の住職による供養のために建てられたもの、右側は寛政年間に四代目岩井半四郎がお七を演じた縁で建立されたもの、左側は近隣住民が270回忌法要の際に建てたものです。
●寺宝と札所
円乗寺には、歴史的価値のある仏像や宝物が収められています。本尊の釈迦如来坐像のほか、延命地蔵半跏坐像や聖観音立像、三面大黒天立像が安置されています。また、円乗寺は「昭和新撰江戸三十三観音札所」の第11番札所に指定されており、観音堂には慈覚大師作と伝えられる聖観世音菩薩が祀られています。
●近代化と現在の円乗寺
2019年10月、円乗寺は本堂の建て替えを行い、新たに納骨堂「白山御廟」を開設しました。この近代的な施設の導入により、伝統を守りつつ現代の需要にも応えています。
●著名人の墓所
円乗寺には、八百屋お七以外にも多くの著名人が眠っています。彫金家で日本画家の二代目海野美盛、小唄師匠の吉田金太郎、日本舞踏家の花柳禄寿など、多彩な文化人たちが安らかに眠る場所となっています。
文京区白山にある圓乘寺に参詣、ここには八百屋お七の墓がある。天和2年(1683年)の天和の火災でお七はここに避難、その後恋人に会いたい思いで放火、処刑されたそうである。
御朱印は書置きのみとのことでしたが八百屋お七の御朱印帳を購入したので直接書込んであるものをいただきました。
円乗寺〜八百屋お七御朱印帳
円乗寺〜八百屋お七の墓
円乗寺〜入口
円乗寺〜「聖観世音」の御朱印
円乗寺〜六地蔵
円乗寺〜花塚
お彼岸の真っ最中で、お寺様も大忙しかとは思いましたが、
江戸三十三観音・全制覇を目指し、五つ目は、圓乗寺へ…
先ほどの定泉寺から、やや距離があります【と、言っても10分程】。
途中、白山神社があるのでご挨拶の後、お参りしました。
最近の「お寺の構えがない」、天台宗のお寺です。
八百屋お七を弔っているようです。
お地蔵さま6体が、地獄⇒餓鬼⇒畜生⇒修羅⇒人間⇒天上 と
並んで居る祠が印象的です。
寺務所で御朱印をお願いにいくと「書いている間に、本堂をお参り下さい」とのこと。
エレベーターで4階に上がり金ぴかの本堂でお参りしました。
近くの白山神社を参拝しました【5年振り?】
狛犬の足を熱心にさすっていらっしゃる方がいましたが何の意味なんだろ…
通りの石標です
ここのお寺は「八百屋お七」のお墓が…
由緒
地獄⇒餓鬼⇒畜生⇒修羅⇒人間⇒天上 人の様でしょうかね…
修羅のお地蔵さまだけ、杖があるのは如何に…
こちらが お七さま の、お墓のようです。
御朱印を書いて頂いている間に、本堂をお参りしました。
御朱印です。直に書いて頂けました。
久し振りに江戸三十三観音巡りに。白山駅から近くで二カ所。こちらと大円寺へ。
第11番目です。
2019年に、今の近代的に建て直されていることを知らずに、社務所に手元の資料を持って、これはどこにありますかーなどど聞いてしまいました。
資料をイメージして行ったので、変わる前にあった『八百屋お七地蔵尊堂』にもお参りしたかったなぁとも思ったり…。
御朱印は書き入れで頂けて、書いて頂いている間に、聖観世音菩薩をお参りさせていただきました。
とても感じの良い対応をして頂きました。
お七の表紙の御朱印帳が可愛くて、とても気になったのですが…
江戸三十三観音巡りは、専用の御朱印帳を使っていたので、諦めました^_^
八百屋お七のお墓にも、もちろんお参りを。
現在
情報が古かった(・・;)
近代的で綺麗なビルの中にある、昭和新撰江戸三十三観音札所 第11番札所のお寺です。
江戸時代、想い人に逢いたいがために放火してしまい火あぶりの刑に処されたという「八百屋お七」のお墓があることでも有名です。
自動ドアが開くとすぐ目の前に、ご本尊の姿を拝めます。
職員の皆さまも親切でスマートな方ばかりでした。
ビルの向かいには八百屋お七の墓や六地蔵など、昔から大事に守られているものもしっかり残っていました。お掃除を丁寧にされていたのが印象に残っています。
八百屋お七の墓について
かつてこの地は「指々谷町」と呼ばれていたそうです
六地蔵
きれいなビルでした
入ってすぐ、金色のお釈迦さまに出会えます
ビルの向かいの一画
八百屋お七の墓と八百屋お七地蔵尊
墓は3基あり、中央はお寺の住職が供養のために、右側は寛政年中岩井半四郎がお七を演じたのが縁で、左側は近所の人が270回忌法要のために、それぞれ建てたもの。
手水盤と龍塚?白龍弁財天?
御朱印
21.04.24。小石川大神宮から都営地下鉄三田線「春日駅」へ、次の「白山駅」下車徒歩3分。江戸三十三観音巡礼③として参詣。第十一番札所(聖観世音菩薩)
文京区白山の静かな住宅街の中にある天台宗の寺院。通称:八百屋於七墓所として知られる。
開創は天正9年頃(1581年)、本尊は釈迦牟尼佛。
寺号標。
八百屋於七石碑。
水屋と花塚。
寺院はビル形式、白山御廟(納骨堂)としても知られているようです。
八百屋於七の墓。
六地蔵尊
江戸三十三観音霊場9番札所。文京区白山にある天台宗の寺院。正式名称は南縁山正徳院圓乗寺。本尊は釈迦牟尼如来。創建は天正年間(1573~1592年)と伝わる。「八百屋お七」の墓があることで知られる。
「八百屋お七」は、江戸前期に本郷の大きな八百屋に生まれ、1683年の天和の大火で焼け出され、親とともに正仙院という寺に避難する。そこで正仙院の寺小姓と恋仲に落ちるがその後店が再建され家族で寺を引き払う。ただお七は小姓への思いが募り、もう一度自宅が燃えれば寺で暮らせると思い自宅に放火、捕縛され火あぶりの刑になったという話。この話が有名になったのは、井原西鶴が『好色五人女』でお七を題材として取り上げたり、その後歌舞伎や浄瑠璃などの題材にもなったりしたことによる。当時としては、庶民が喜ぶセンセーショナルな大スキャンダルだったのでしょう。
圓乗寺は2019年に本堂をビルとして再建したため、観音様も照明が煌々と灯るビル1階玄関フロアに安置となっている。お七の墓は昔のまま。寺社仏閣巡りでビルに行くのは若干違和感はある。
参拝時は週末の午後で、他の参拝者はいなかった。
都営三田線・白山駅のほど近く、白山下交差点から浄心寺坂を50mほど上がったところにある。
寺標にはすぐ気づくが、その先に寺院がある感じがしない。
小道に入って行くと、本堂らしき建物はなく、代わりにビルの壁に寺院名が記されていることに気づく。
ビル1階の自動ドアを入ると観音様が。
ビル入口前の地蔵像。
地蔵像の奥に「八百屋お七」の墓がある。
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