きたのじんじゃ
北野神社のお参りの記録一覧
2024年の初詣です。
自宅から徒歩5分程のの氏神様で、神に触れたいと感じた時は迷わず参拝しています。
年明けの時刻に毎年初詣で行くのですが、いつもは数名が参拝してる程度が本殿まで行列です。30分は並びます。新年はこの時位しか神社に行かない人々ばかりで気分悪くなるのですが今年は最悪でした。
後ろに並んだ20代の女2人組があまりにも無礼過ぎて。並び始めてから大声でくだらない話はするわ(この神社は住所と隣接です)、内の片方が参道に入ると「菅原あけおめ!」とか「道実〜」などと神を呼び捨て。あまりにも酷いのでもう少しで「帰れ!」と言いたくなりました。
この様な人物はいくらお願い事をしても神様も耳を塞ぐでしょう。
嫌な気分ながらも今年も良い神社巡りが出来るようお願いしました。
板橋神社巡り③
徳丸北野神社とも称する。一の鳥居から二の鳥居までの間に神仏混交の名残の石碑等があります。二の鳥居までの間のものは江戸時代の奉納のものが多く見受けられますが、境内に入ると社殿も含め境内社も最近造営されたもののようで新しく綺麗です。こちらの本殿も覆屋がガラス張りになっていて中が覗けます。このあたりの流行りのようでしょうか?本日最初の御朱印は書置きで戴きましたが、横幅のサイズが大判の御朱印帳でもギリギリなので注意が必要です。
宝暦5年(1755年)奉納の一の鳥居
文久元年(1861年)奉納の標柱
境内社
湯殿山 月山 羽黒山
左手には不動明王の彫りものがされた石碑
天保13年(1843年)奉納の湯殿山、月山、羽黒山の三祀聖霊の石柱
左隣に荒澤不動明王の石碑
湯殿山の石碑
社号碑
北野神社 田遊びの石碑
二の鳥居
由緒書
手水舎
灯籠
拝殿
扁額
境内社 天祖神社 石神神社 三峯神社 杵築神社 稲荷神社
撫で牛
手水舎
狛犬
本殿
本殿は覆屋になっていますがガラス張り
境内社の鳥居
境内社 須賀神社 稲荷神社
境内社 祖霊社
御由緒
『天神宮紀』によれば、一條院正暦年中(990~994)に、この地に疫病が流行し、里人等大勢の者がこの病により暴死した。
この時、里人の一人徳麿(とくまろ)の夢に大神様が現れ、当地にある梅の古木に祈願するようお告げがあった。お告げの通り梅下により、疫病の癒えん事を謹拝して去った所、奇妙な効果(霊験)が得られ疫病はことごとく去って行った。
そこで、梅はまさしく聖廟天神の珍愛されたことから、山城国(京都)北野天満宮より御分霊を戴き、当地に祠を設けて、天満宮と号した。
第66代一條院長徳元年乙羊(995)正月11日御幣帛を捧げ、大前に田夫の業を以て俳優(わざおぎ)となし、神威を安んじ奉った。この田夫の業とは、今の国重要無形民俗文化財「田遊び神事」の事で創建以来一年も休まず続けられている。
以降、1,000年以上この地に鎮座し徳丸郷の氏神(徳丸・高島平、新河岸地区)として、合格学問成就・邪気祓・病気平癒の守護神として広く崇敬を集めている。
四葉稲荷神社の御朱印拝受するのに
お伺いしたので参拝もしてきました。
一の鳥居
二の鳥居
拝殿工事か終わってとても美しくなってました。
そして本殿はガラス張りとなり、よく見えるようになっていて
裏参りも出来るようになってました。
七五三でお忙しくされてる中
氏神さまが知りたくて尋ねましたら
丁寧にお調べくださりました。感謝。
北町浅間神社を後にして、板橋区の徳丸北野神社へ。
東武練馬駅から徒歩20分ほどですが、バスで行くことも可能。
行きはバス、帰りは徒歩にしてみました。
バス停から住宅街を歩き、勾配のある坂道を登ると、交差点に鳥居が見えてきます。
鳥居をくぐって参道を歩き、一旦道路を横切ると神社に到着。
拝殿は工事中だったので、全貌は見れませんでした。
境内に祖霊社、須賀神社、稲荷神社、天祖神社、石上神社、三峯神社、杵築神社の末社がありました。
またこちらにも小さな富士塚があったりします。
北野神社と先に訪問した北町浅間神社の御朱印を頂きました。
大松氷川神社・北町浅間神社・四葉稲荷神社の御朱印もこちらで頂けるようです。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0