浄土宗
相即寺のお参りの記録一覧
到着した瞬間一本道がなんとも印象的なお寺で人工芝が敷いてあったのである意味緑が綺麗でした。今風?という感じの見栄えでとても綺麗でした。
ホトカミでたまたま見つけたお寺なのですが『ランドセル地蔵尊』がとにかく気になり、今回参拝。
我が子はランドセルを卒業しておりますが『元気に育ってくれていることが何より』という気持ちにさせていただけたお寺さんでした。
御朱印は住職がお忙しいということで書置きのものをいただきました。
書置きタイプでこういった感じの御朱印は初めてでしたのでいろいろあるんだなぁ~とちょっと感心してしましました。
日付が自分で入れられる見開きのものです。
ただ、今は令和ですので今回自分の御朱印には申し訳ないのですが記念メモが入れられる部分はカットして貼り付けをしたいと思います。
見開きで自分で日付を入れたりメモができたりする珍しい書き置き御朱印でした。元号がちょっと古いですがこれも『縁』ということで。
〜 お寺で戦争と平和を考える ランドセル地蔵 〜
JR中央線西八王子駅からバスで15分。「花川」バス停で徒歩1分。
関東百八地蔵霊場第102番札所の浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
1546年、忍誉貞安によって開基。八王子城の鬼門の寺ともされて来ました。
江戸時代には、徳川3代将軍、家光から朱印状を受けました。
ここの寺院には、「ランドセル地蔵」と呼ばれる地蔵様がいらっしゃいます。
元々は八王子城の戦いで敗れた283体の戦死者の供養として彫られたものの一つです。
この話には、戦争における悲話が語られています。
太平洋戦争末期には、戦局も悪化して苦しい最中、子供たちは郊外へ学童疎開が始まります。
ある国民学校の9歳の男の子がここ八王子郊外の保育園に疎開していた時に昭和20年7月8日、アメリカ軍のP51戦闘機が攻撃をしました。
俗にいう「機銃掃射」で、大都市や工場、軍人民間に関係なく、突然無差別攻撃が多くの都市で行われていました。
その男の子は、機銃掃射の銃弾を受けて亡くなりました。
それを知ったお母様が男の子が使っていたランドセルを堂内で一番息子の顔に似ている地蔵さんにかけて東京に帰りました。
そのお母様も翌年の2月に亡くなりました。
以来、命日の7月8日の他に6月23日と8月8日にご開帳が行われます。
この日も子供連れの家族がお参りをしておりました。
実際にそのランドセルを見て、居た堪れない気持ちになりました。
戦後77年が経ち、平和憲法が改憲されようという時流に立っています。
また、世界では紛争が続く中で、ロシアとウクライナの戦争が「継続」しています。
戦争は、国家の「エゴ」だと思います。
その度に被害を受けるのは、市民であり、子供たちなのです。
改めて思うことは、戦争は「百害あって一理なし」。結局残るのは、憎しみと悲しみです。
ましてや、終戦末期に罪なき子供たちが犠牲者になる。そのランドセルを見ると言葉を失い。
流れ出る汗と共に、涙が溢れてきました。
今を生きていることができるのも「平和」があってのこと。もう一度「戦争の愚かさ」と「平和に対するありがたみ」。
これ以上、悲しい戦争が起きないことを願うことを再認識したお参りでした。
来週は終戦の日です。
山門です。
山門の「穴」は、機銃掃射を受けた時に貫通したものと言われています。
当時も暑い夏だったのか、蝉時雨が賑わっていました。
セミの抜け殻です。
ご開帳以外の日はこちらが「ランドセル地蔵」です。
地蔵堂。「関東百八地蔵」霊場です。
地蔵菩薩です。1776年の鋳造です。
こちらには八王子城の合戦で敗れた283体が眠っています。
その中の一体が「ランドセル地蔵」です。
近くの小学校の児童が千羽鶴を奉納していました。
数ある地蔵の中で、男の子の顔が一番似ている地蔵にランドセルをかけています。
のちに「家出ネコのナゾ」によって真相が明らかになり、「ランドセルをせおった地蔵さま」として童話にもなりました。
本堂です。
慈悲観音です。
境内前の庭です。青い空に白い雲。
最後にもう一度、「ランドセル地蔵」を目に焼け付きました。
2度とこういう事が起きないように。
世界が平和であります様に。伝えていく責務があると思います。
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