たかはたふどうそん こんごうじ
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高幡不動尊 金剛寺ではいただけません
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高幡不動尊 金剛寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月27日(土)
参拝:2021年2月吉日
金剛寺(こんごうじ)は、東京都日野市にある真言宗智山派の別格本山の寺院。山号は高幡山、院号は明王院。本尊は大日如来。通称「高幡不動尊」。成田山新勝寺などとともに関東三大不動尊の一つ。アジサイの名所としても知られる。関東三十六不動尊霊場9番。東国花の寺百ケ寺・東京7番。
寺伝によると、創建は平安時代初期、円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山頂に開いたのが始まりとされる。江戸時代には、真言宗関東十一檀林の談議所として多くの学僧を輩出。幕末の新選組副長・土方歳三の菩提寺。
当寺は、京王線・高幡不動駅から徒歩2分で都心からのアクセスも良い。境内はいくつもの伽藍が並び、境内はそれなりに広く、平地部分と一段高い部分がある。高い部分に五重塔が立っており、境外から見ても目立つ位置にある。
当日は平日の昼過ぎであったが、参拝者はけっこういた。不動堂にて祈祷を受ける人が多かった。
寺伝によると、創建は平安時代初期、円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山頂に開いたのが始まりとされる。江戸時代には、真言宗関東十一檀林の談議所として多くの学僧を輩出。幕末の新選組副長・土方歳三の菩提寺。
当寺は、京王線・高幡不動駅から徒歩2分で都心からのアクセスも良い。境内はいくつもの伽藍が並び、境内はそれなりに広く、平地部分と一段高い部分がある。高い部分に五重塔が立っており、境外から見ても目立つ位置にある。
当日は平日の昼過ぎであったが、参拝者はけっこういた。不動堂にて祈祷を受ける人が多かった。
仁王門と寺号標。
<仁王門>は室町時代後期の建立。三間一戸楼門、入母屋造、茅葺形銅板葺。国指定の重要文化財。
仁王門をくぐると、真正面に見える<不動堂>。
左手には<水舎>。
右手には<宝輪閣>。ここはお札所で、授与所ではない。御朱印などは裏手の<講堂>で授与。
<不動堂>は室町時代前期の建立。桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、茅葺形銅板葺。国指定の重要文化財。
参拝時はちょうど13時の祈祷が始まるタイミングだった。
参拝時はちょうど13時の祈祷が始まるタイミングだった。
不動堂の真後ろにある<奥殿>。寺宝展示室になっていて、重要文化財の平安時代後期作<木造不動明王および二童子像>が安置されている。
奥殿の隣にある<上杉憲顕の墳>。奥は納札堂。
ここから境内で一段高くなっているエリアに移動。仁王門から見て一番手前が<五重塔>。
五重塔そばにある<行堂>。<虚空蔵菩薩像>が祀られている。
行堂の隣にある<大師堂>。
大師堂の隣にある<聖天堂>。
大師堂、聖天堂の前、少し低いところにある<稲荷社>。
聖天堂の奥にある<お鼻井戸>。1335年8月の大風で不動堂が倒れ、不動尊像が落ちて鼻をついたとされる井戸。
お鼻井戸の奥の階段を上がったところにある<鐘楼>。立入禁止とのこと。
境内の一番奥にある<大日堂>。
大日堂の大玄関。
大玄関の手前にある<五部権現社>。当寺の境内鎮守。寺伝では、源頼義が1062年奥州反乱鎮圧に際しここに八幡社を勧請、のちに稲荷、丹生、高野、清龍権現を合祀して五部権現と称したと伝わる。現在の社殿は江戸時代前期の1671年に再建。
大日堂へつながる<山門>。
山門を下から見上げる。
山門への階段脇にある<講堂>。御朱印はこちら。
入口の駐車場近くに戻って、銅像は新選組No.2の<土方歳三像>。右脇の碑は<新選組両雄の碑>。中央奥には<弁天堂>。写真左側の碑は<玉南鉄道碑>。
駐車場内にある<交通安全祈願殿>。
境内には、ほぼ満開の白梅の木もあった。
すてき
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惣一郎1269投稿
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