あなざわてんじんしゃ
穴澤天神社の編集履歴
ご由緒
穴澤天神社は、『延喜式神名帳』記載(延喜五年、905年撰上)に記されている古社で、多摩郡八社の内の一社であり、明治六年郷社に列せられました。
新編武蔵風土記稿によりますと、今より2400年前の昔、人皇第六代孝安天皇の御代、四年に創建されたと記されております。
主祭神は少彦名命をお祀りした社で、この命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、又国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。
元禄七年(1694)に新たな社殿の造営が行われ、その時、菅原道真公を合祀しました。公は古くより文学の神として、親しまれ広く仰ぎ祀られており、大正7年には、村内矢野口宇谷戸に鎮座しておりました、国安神社の大己貴命を更に合祀して、縁結、開運の神として以後崇敬されております。
三沢川右側沿いの境内下には、横穴厳窟がありましたが、昔の厳窟は崩れ落ち現在は二度目の洞穴に変わりましたが、これが即ち当神社の社号「穴澤」の起源であります。この洞穴には、元種々の神仏の石像が安置した跡も今現在残っており、明治四年神仏分離の際、神仏の像は、当時の別当職でありました威光寺に移され、以後安置している洞窟を辨天洞窟と称されております。
編集前: 穴澤天神社は、『延喜式神名帳』記載(延喜五年、905年撰上)に記されている古社で、多摩郡八社の内の一社であり、明治六年郷社に列せられました。
新編武蔵風土記稿によりますと、今より2400年前の昔、人皇第六代孝安天皇の御代、四年に創建されたと記されております。
主祭神は少彦名命をお祀りした社で、この命は人民に医療法や造酒の術を授けられ、特に薬の神から健康増進の神として、又国土経営に偉功を遺された著名な御方であります。
元禄七年(1694)に新たな社殿の造営が行われ、その時、菅原道真公を合祀しました。公は古くより文学の神として、親しまれ広く仰ぎ祀られており、大正7年には、村内矢野口宇谷戸に鎮座しておりました、国安神社の大己貴命を更に合祀して、縁結、開運の神として以後崇敬されております。
三沢川右側沿いの境内下には、横穴厳窟がありましたが、昔の厳窟は崩れ落ち現在は二度目の洞穴に変わりましたが、これが即ち当神社の社号「穴澤」の起源であります。この洞穴には、元種々の神仏の石像が安置した跡も今現在残っており、明治四年神仏分離の際、神仏の像は、当時の別当職でありました威光寺に移され、以後安置している洞窟を辨天洞窟と称されております。
アクセス
京王相模原線「京王よみうりランド駅」から徒歩10分
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京王よみうりランド駅から歩いて200~300mほどいくと、ちょっと急な坂を
登っていくような道がありますので、そこをだらだらと上がっていくと神社があります。
神社の境内にクルマがありましたので、このみち狭いですが、クルマで登れるようです。
ところどころ、がけが崩れていたので、駅から徒歩が良いと思います。
園先にある鳥居から登る階段はかなりの長さですし、御神水からも神社に上がる
道がありますが、こちらもかなり険しい感じです。
編集前:京王相模原線「京王よみうりランド駅」から徒歩10分
御朱印帳
あり