もちおじんじゃ
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楽しみ方母智丘神社のお参りの記録一覧

豊受姫大神 (とようけひめのおおかみ)
大歳神(おおとしのかみ)
商売繁盛、子孫繁栄
安産の神として崇敬されているそうです。
多摩市の「山神社」「乞田八幡神社」の本務社とっていて、御朱印をいただけます。
原町田七福神めぐりの弁財天も担っています。
ちょうど七五三の日だったので、お参りされていたご家族も参拝されていました。










東京都町田市にある母智丘(もちお)神社に参拝⛩️町田駅からちょっと歩いたところにあるこぢんまりとした神社🐕アイドル犬?の「ムク」はお休み中💤でした。原町田七福神「弁財天」もありました。
御朱印は直接書込みでいただきました。また多摩市にある「乞田八幡神社」「水神社」の兼務社であり、そこの御朱印もいただける模様。

母智丘神社〜アイドル犬「ムク」お休み💤

母智丘神社〜入口

母智丘神社〜御朱印

母智丘神社〜拝殿

母智丘神社〜拝殿に続く本殿

母智丘神社〜提灯🏮

母智丘神社〜原町田七福神「弁財天」

町田市の芹ヶ谷公園に隣接してご鎮座しています。ご由緒によると、大正8年に日向国北諸県郡庄内町地内(現宮崎県都城市)石峰山山頂に鎮座せる母智丘大神の御分霊を勧請したことにはじまるそうです。ご祭神は豊受姫大神と大歳大神になります。
以前フォロワー様の投稿を拝見して「母智丘」という名称が初見では読めず、とても気になりました。今回ご縁をいただき参拝する運びとなり、宮崎県の本社のご由緒等を調べたところ、前田厚 著の『母智丘正史』に名称の考察があり、町田に勧請された黒木氏のご先祖様と思われる方のお名前も載っておりました。
【母智丘の名称考】
母智丘には昔から2つの名称があったといいます。
1つは「石牟礼(いしむれ)」で「石峰」とも呼ばれる。牟礼は峰と同じ意味で高い所のこと。史上に出たのは庄内地理志が最初で文政年間のことだが、この名称が生まれたのは遥か昔のことだと思われる。
もう1つは「もちお」である。
もちおの名が史上に現れたのは検地帳で文禄年間かその後と思われる。その時は「持尾」と書いてあったという。
もちおのもちは「餅」のことだと筆者はいいます。明治3年に三島地頭が手を加えるまでは、この地は餅のように丸い美しい草岡で、「餅のような岡」から人々は自然と「もちお」と呼ぶようになったというそうです。
筆者は母智丘は万葉仮名で漢字に意味はないだろうといいます。どうしてこの字を用いたのかは、名称を母智丘と定めた三島地頭のみぞ知るといったところですかね🤔
他にも面白い伝承がたくさんあって非常に興味深かったです。





手水舎

弁財天様

ご由緒

社務所

ムクちゃんというお名前だそうです🐶日向ぼっこしててかわいかったです🥰



今日は町田市の母智丘神社様へ。こちらの創建は大正8年3月。日向国北諸県郡庄内町(現在の宮崎県都城市)の石峰山の山頂に鎮座している母智丘大神の分霊を黒木昇 黒木ハナ両名が勧請し、この地に社殿を創建しお祀りしたのが始まりといわれています(由緒より)。後に昭和60年10月に社殿の改修が行われ、現在の社殿となりました。豊受姫大神、大歳大神が御祭神としてお祀りされています。
こちらの神社は母智丘大神という宮崎県にルーツのある神様を勧請してお祀りされたのが始まりということを知りました。私は2週間ほど前に宮崎県を訪れたので不思議な繋がりを感じました。





21日におまいりに行った、母智丘神社さんの兼務社である乞田八幡神社の御朱印をいただくために、雨の降る中おまいりに行きました。

直書きの御朱印を頂いたのですが、大変ご丁寧に対応いただきました。

町田駅から歩いて母智丘神社へ
御朱印をお願いしたところ、とても丁寧に御対応くださいました🙂

こじんまりした小径を抜けて

境内へ

手水舎

拝殿

拝殿

町田七福神の弁天さま

こちらの御朱印に加え、多摩市にある兼務社の御朱印もいただけるそうです

御由緒
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