おおみやはちまんぐう
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大宮八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月04日(金)
参拝:2020年6月吉日
大宮八幡宮は、杉並区大宮にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は八幡三神(品陀和気命(ほむらだけのみこと;応神天皇;八幡神)、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと;仲哀天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと);神功皇后)。当社の境内は、東京ドームと同サイズで、東京都で明治神宮、靖国神社に次いで3番目に広い。
社伝によると、源頼義が勅命により奥州征伐に向かう途中、武蔵国の当地で空に八条の白雲が棚引いているのを見て、八幡大神の守護と喜び、乱の平定後、1063年に石清水八幡宮を勧請して創建したとされる。
江戸時代には徳川家康から社領30石を寄進された。また、越前国北ノ庄藩初代藩主・松平秀康の夫人・清涼院により社殿が造営された。
当社は、京王井の頭線・永福町駅の北西1kmほどの高台に広い境内を構えている。善福寺川沿いの都立和田堀公園などと一体になって、都会にあって大きな森を構成している。社殿等のあるエリアはコンパクトに集約されていて参拝しやすい。
今回は、かつての東京府の府社であることと、御朱印巡りの本や雑誌に出ている人気神社として参拝することに。参拝時は平日の午後、参拝者はそれなりにぱらぱらと来ていた。
社伝によると、源頼義が勅命により奥州征伐に向かう途中、武蔵国の当地で空に八条の白雲が棚引いているのを見て、八幡大神の守護と喜び、乱の平定後、1063年に石清水八幡宮を勧請して創建したとされる。
江戸時代には徳川家康から社領30石を寄進された。また、越前国北ノ庄藩初代藩主・松平秀康の夫人・清涼院により社殿が造営された。
当社は、京王井の頭線・永福町駅の北西1kmほどの高台に広い境内を構えている。善福寺川沿いの都立和田堀公園などと一体になって、都会にあって大きな森を構成している。社殿等のあるエリアはコンパクトに集約されていて参拝しやすい。
今回は、かつての東京府の府社であることと、御朱印巡りの本や雑誌に出ている人気神社として参拝することに。参拝時は平日の午後、参拝者はそれなりにぱらぱらと来ていた。
神域入口付近。社殿、神門が東を向いているので、参道は東西に伸びている。
神域入口付近、斜めから。左に見える屋根が<神門>、右に見える屋根が<手水舎>。
大きな<手水舎>。
神門前には<茅の輪>が設置されていた。
いよいよ<神門>。社名が提灯で示されている。
神門をくぐってすぐ左手にある<授与所>。御朱印はこちら。
大きく立派な社殿。(近々で祭事があるのか、拝殿前にテントが設営されている。)
拝殿全景。
社殿の右側にある<大宮天満宮>。絵馬がたくさん掛かっている。社殿との間に<宝物殿>がある。
境内北側にある<神楽殿>。
境内南側、授与所の近くにある<菩提樹>。徳川家康の次男・松平秀康の側室・清涼院が当社を崇敬し植樹したものとのこと。
社殿の左側にある<御嶽榛名神社>。
社殿の左側にある<若宮八幡神社・白幡宮>。
境内社の近くにある、御神木<共生の木>。榧(かや)の木に犬桜が寄生している。
社殿の左側にある<大宮稲荷神社>。
最後にもう一度、社殿全景。
すてき
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惣一郎1269投稿
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