くがやまいなりじんじゃ
久我山稲荷神社のお参りの記録一覧
お盆期間中、道が空いている間隙をついて神社巡り第3弾
いつも渋滞している東八道路をストレスなく進むことができました。何度か神社の前を通っていましたがスルーしていて、今回下高井戸浜田山八幡神社の兼務社巡りで訪れました。事前に駐車場がないことを確認していたため、近くのコインパーキングに停めての参拝。稲荷神社のけばけばしさ、否、派手さがない素敵な神社でした。石段のある表参道以外にも参道があり、裏参道の鳥居の方が大きくて立派です。多少スペースがあるので、こちらなら少し停められるかも?
社号標
一の鳥居
西向き庚申様説明書
西向き庚申様 御祭神:猿田彦大神、元禄十六年(1703)建立
石段
境内土止落成記念碑(昭和三十六年)
御遷宮記念碑
大正十年(1921)奉納の灯籠
二の鳥居
明治維新百年記念碑
石段上から
昭和十一年(1936)奉納の三の鳥居
灯籠
手水舎
手水鉢
灯籠
明治廿八年(1895)奉納の眷属の狐
安政四年(1857)奉納の灯籠
拝殿
扁額
本殿
舞殿 昭和57年(1982)建立
御神木
脇参道鳥居
力石
「人心同碑」説明書
人心同碑 金玉均(李王朝末期の政治家、小笠原の砂糖王)揮毫
神輿庫
裏参道鳥居
裏参道社号標
参道
灯籠
手水舎
天保九年(1838)奉納の手水鉢
境内社鳥居
境内社 八雲神社
境内社 天満天神社
正一位稲荷大明神・富士山仙元大菩薩・富士山講碑
今年もこちらのお祭りの季節がやってきました。
昨年同様に…
『湯の花祭り』、開催当日の二日間は、こちらで頂けますが、それ以外は、こちらを兼務社とされている、下高井戸八幡神社さんで頂けます。
昨日下高井戸八幡神社さんにお参りに行き、お祭り当日にこちらに伺えるかわからないので頂きました。書き置きです。
ちなみに、こちらの社務所は、普段は閉まっています。
久我山稲荷神社さんは、ふらっと訪れると、なんだか懐かしい雰囲気の神社で,年明け、夏、秋,冬と季節ごとに伺っていますが,今年もお祭り当日は、初夏辺りからコロナも感染広がっているとのことで、残念ながら持病がある身なので伺わない予定です。
御社殿も立派、きちんと手入れもされていて境内も綺麗。
久我山と縁があったらしい李氏朝鮮時代末期の政治家、金玉均の碑があったり、例祭とは別に夏祭りに湯の花神楽が奉納されてるとか、その土地だけの物語りとか…色々しみじみ思う…🙏
下高井戸八幡神社 兼務の2社目。
北参道から…
白い梅…?
梅?
御由緒
扁額
拝殿
本殿
末社
神楽殿
金玉均の碑
一際目立つ…ちょっと違和感😆
正面(南側)⛩️から…
社号碑
猿田彦大神、甲申様
西向き甲申様…
この久我山稲荷神社は、下高井戸八幡神社の兼務社で、全部で四か所兼務されている神社のうちの一つですが、現在、下高井戸八幡神社において、9月19日まで【たいどごしゃもうで〜地域の神社の御朱印巡り〜】をやられています。御朱印は、全て下高井戸八幡神社にて頂けます。宮司さんがいらっしゃる時は、書き入れて頂けますが、兼務社も多く、とてもお忙しくされているので、ご不在の時は、書き置きが用意されています。書き置きは、印刷されたものではなく、全て一枚一枚書かれています。
今回、タイミング良く、宮司さんがいらっしゃるときで、書き入れていただけました。
昨年も5社をお参りしていますが、せっかくの企画なので、改めてお参りして来ました。
前置きが長くなりましたが、先ずは久我山稲荷神社へ。
最初の鳥居をくぐり石段を登ると赤い鳥居が見え、広い境内が見え、もう一つに鳥居をくぐります。ちょうど境内の大きな木をクレーンで手入れしているところで、圧巻の作業でした。
左手に、八雲大神、天満天神が祀られていて、一番最初の鳥居の手前右手には、庚申様御祭神、猿田彦大神が祀られています。
このあとは、別の兼務社の春日神社へ。
高井戸五社詣限定御朱印です。
下高井戸八幡神社の兼務社の1つです。
久我山駅から行かれる方は、分かりやすく、駅近です。
兼務社は、それぞれ微妙に離れた位置なので、足早に回らずに、日を分けて一箇所づつゆっくりとお参りしました。
こちらも住宅地の中にある敷地が広く木々の多い、気持ちよく深呼吸をしたくなる神社です。
道沿いの石段を上り、一つ目の鳥居から更に石段を上がったところの赤い鳥居から、三つ目に鳥居越しに臨む本殿が良い感じです。
最初の鳥居潜ったすぐ右手にも末社があるのを見落としそうになりました。
御朱印は、下高井戸八幡神社でいただけるので、また別の日にお参りに伺いました。
宮司様はお忙しくご不在だったので、書き置きを頂きました。
横の出入り口。
久我山稲荷神社。きれいに掃き清められた露地の境内、様々な広葉樹が生い茂っています。御神木の樹種はよく分かりません。コナラのようでもあり、もしかしたらイヌシデかもしれません。
久我山稲荷神社
御神木は何の木でしょうか?
久我山稲荷神社の由来説明版
此処は、うちの親戚の氏子。
三年前数え90歳で亡くなった父親の実家の神社である。
子どもの頃からこの神社の横通り、この先の真言宗のお寺の跡の墓場所に行く。
この神社周辺は四十年以上前はぬかっていて、更にお墓は泥泥。
保育園時代は長靴履いて墓に行っていた。
もともと自分自身は稲荷神社という、現世利益的な神社好きじゃなく
真言宗の墓は年中行っていても、この神社は参拝したく無いと避けてきた。
ひょんな事から“お稲荷さん”の夢知らせから、
また数年ぶり(亡伯父の法事等以来)参拝した。なんか境内にプラスされた。
それと、以前年配の宮司様がいらっしゃったが、
下高井戸の八幡神社に合併されていた。宮司居ない神社になっていた。
お正月やイベントの時宮司来て、御朱印など書き溜めて置くんだそうな。
寂しくあるが時代かなー。此処はもともとお寺の一部の神社だったんだ。
久我山駅の北口に真言宗豊山派の光明寺跡の墓が御先祖の墓なので行っている。
この神社は修験道の神社だったと想ふ。
隣には久我山幼稚園があり、従兄弟が行った幼稚園だと想った。
想いだした、亡き父親から聴居ていた。久我山周辺、千歳烏山駅辺りには
朝鮮部落があったとか。その場所は聴いて居ない。
丁寧に一枚一枚ビニール袋に容れて保存されていた。納付料五百円。
幼稚園横の階段は、昔から子ども達の遊び場所の鳥居
正門の鳥居
本殿
末社の絵馬
末社のご由緒書き
末社の説明板
新しくできた歴史の説明(朝鮮半島の人と久我山の地元の人の交流)
境内にある朝鮮の人との交流石碑は昔からあるが、この説明する看板が隣に出来た。
末社絵馬。
境内の鳥居。
末社の鳥居。
北側の墓に行く方の鳥居。
末社の天神さまのご由緒書き。
手水舎。
此処は豆撒きなど開かれる場所。
参道
亡伯父の名前が裏に刻まれた石碑
正門の参道の脇に末社あり。
正門の横の末社。
久我山江戸時代からある御先祖さまの墓詣り行った際に
久我山稲荷神社も御参りさせて戴いた。
社務所入口に、“八重咲きのドクダミ”が根付いていた。
誰かが鉢植えで持って来たモノが拡がっていた。
此処には、伯父さん名前彫られていらっしゃる石碑がある。
まるで親戚の人の名前彫られて居るのでお墓のような石碑。
その石碑に般若心経唱えて駅に向かった。
本殿にて先祖代々にご挨拶。
社務所前に誰かが置いて行ったような鉢植え(八重咲きドクダミの花)
鉢植えの八重咲きドクダミの花が拡がっていた。
伯父さんたちの名前彫られていらっしゃる石碑。
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