じょうりつじ|浄土真宗本願寺派|高輪山
浄土真宗本願寺派高輪山浄立寺の編集履歴
名前
浄土真宗本願寺派高輪山浄立寺
編集前:浄立寺
ふりがな
じょうりつじ
ご由緒
浄土真宗本願寺派高輪山浄立寺と称する。本尊阿弥陀如来木彫立像、開基釈念西法師慶長元年(1596)丙申六月六日没し、本尊の右に親費上人の画像、左に蓮如上人画像が祀ってある。
創建年月は不詳慶長年間(1596-1615)に高輪町(港区)に創立されたため、山号を町名からとった寺と思われる。
その後本願寺別院が浅草横山町に創建された。
「築地本願寺遷座三百年史」によるとこの別院は浜町御坊矢の倉御坊とも呼ぴ伝えた。
築地御坊が横山町にあった時代は地中(末寺)の寺院はわずか18カ寺であったが築地移転後は53カ寺に増加した。
この寺も元和3年(1617)に転入したー寺であった。
本願寺の江戸別院横山町に創建以来明暦3年(1657)1月18日振袖火事にあい、この大火により別院はととごとく烏有に帰した。
後今日まで310年を経過したがその間地中寺院とともに度々の大火にあい第1回は元禄8年(1695)12月26日数寄屋町から火を発し木挽町まで焼失、地中寺院58カ寺全部焼失した。
第2回は享保3年(1718)5月1日鍛治橋から出火して新橋辺まで焼失50余寺院残らず焼失、第3回は宝暦6年(1756)11月築地武家屋敷から出火して類焼32ヵ寺院といわれる。
その後さらに天明4年(1784)12月2日文政12年(1829)3月21日にも大火あり、50余寺ほとんど焼失したと記録にある。
さらに大正12年関東大震災によってことごとく全焼した。
かくして当寺は昭和4年に現在地に建立、度々の火災にもかかわらず寺の宝物である親鷲上人・蓮如上人の画像蓮如上人の六字名号などは無事保存されている。
本堂は昭社39年鉄筋コンクリー卜建60坪(198m2)、庫裡60坪(198m2)、墓地400坪(1320m2)、境内(2475m2)、現世第17代である。
(せたがや社寺と史跡より)
https://tesshow.jp/setagaya/temple_sakura_joryu.html
ご祭神/ご本尊
御本尊 阿弥陀如来像
URL
https://tesshow.jp/setagaya/temple_sakura_joryu.html
山号
高輪山
創始者/開山・開基
釈念西法師