みほかしまじんじゃ
御穂鹿嶋神社の編集履歴
ご由緒
御穂神社の創祀は室町時代、大永5(1525)年に鎮座したと伝えられています。後村上天皇の頃、ひとりの老人が都からこの地に至り庵を結びました。当時、芝浜の地は戸数幾ばくもない小さな漁村だったため、村民に忠孝の義を教え導いたとされます。その老人が藤原藤房卿(萬里小路藤房)であり、藤房卿の亡きあと、その高徳を慕って庵跡に宮所が設けられ、祭祀が続けられてきたと伝えられています。
明治45年5月2日 神饌幣帛料供進神社に指定される
平成16年8月 芝四丁目鎮座鹿嶋神社と合併する
鹿嶋神社 御由緒
その昔、沖より芝浜に流れ着いた神殿がありました。波達海の中にあって、神殿の中に納められていた幣帛は少しも濡れることがなかったといいます。日を経て、常陸の国の人が神殿を探し求めて尋ねてきました。これは鹿嶋に鎮座するお社であるとして舟につないで漕ぎ帰りました。ところがこの神殿は再び芝浜の地に流れつき、「この浦に鎮まり坐すべし」との神託があったことから、この地でお祀りされるようになりました。
明治45年5月2日 神饌幣帛料供進神社に指定される
平成16年8月 芝四丁目鎮座御穂神社と合併する
編集前:御穂神社 御由緒
御穂神社の創祀は室町時代、大永五(1525)年に鎮座したと伝えられています。後村上天皇の頃、ひとりの老人が都からこの地に至り庵を結びました。当時、芝浜の地は戸数幾ばくもない小さな漁村だったため、村民に忠孝の義を教え導いたとされます。その老人が藤原藤房卿(萬里小路藤房)であり、藤房卿の亡きあと、その高徳を慕って庵跡に宮所が設けられ、祭祀が続けられてきたと伝えられています。
明治四十五年五月二日 神饌幣帛料供進神社に指定される
平成十六年八月 芝四丁目鎮座鹿嶋神社と合併する
鹿嶋神社 御由緒
その昔、沖より芝浜に流れ着いた神殿がありました。波達海の中にあって、神殿の中に納められていた幣帛は少しも濡れることがなかったといいます。日を経て、常陸の国の人が神殿を探し求めて尋ねてきました。これは鹿嶋に鎮座するお社であるとして舟につないで漕ぎ帰りました。ところがこの神殿は再び芝浜の地に流れつき、「この浦に鎮まり坐すべし」との神託があったことから、この地でお祀りされるようになりました。
明治四十五年五月二日 神饌幣帛料供進神社に指定される
平成十六年八月 芝四丁目鎮座御穂神社と合併する
電話番号
03-3452-2664
アクセス
田町駅下車 徒歩5分
行事
6月10日 例祭