でんづういん
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楽しみ方伝通院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月21日(日) 17時22分37秒
参拝:2025年9月吉日
実を言うと、私がこのお寺を知ったのは、つい先日、歌手の橋幸夫さんの葬儀が執り行われていたのをテレビで視たからであった。
なんともまあ無知というか、俗物で恥ずかしい。
慶長7年(1602年)8月に徳川家康の生母・於大の方が京都伏見城で死去し、家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬した。位牌は久松俊勝菩提寺の安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町→野田市)など各地に菩提寺を建立した。慶長8年(1603年)に家康は母の遺骨をこの地に埋葬し、現在まで残る墓を建立。寿経寺をここに移転して堂宇(堂の建物)を建て、安楽寺住職から受けた彼女の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院とした。
明治時代になると、廃仏毀釈により、お寺の規模そのものが小さくなっていった。
夏目漱石は若い頃に、この辺りに住んでおり、「こころ」にこのお寺が出て来る。
「金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束(おぼつか)なく見えたのです。ある日私はまあ宅(うち)だけでも探してみようかというそぞろ心(ごころ)から、散歩がてらに本郷台を西へ下りて小石川の坂を真直に伝通院(でんずういん)の方へ上がりました。」
「先生と遺書」より
春日駅から白山駅から千駄木と文学散歩もなかなかいいなと感じるのであった。
このお寺の庭で、「いつでも夢を」を口ずさんでしまう恥を知らないお婆さんであった。
広い庭に百日紅の花のピンクが映えていた。
橋幸夫さんのご冥福をお祈りいたします。
秋どなり いつでも夢を お江戸かな
なんともまあ無知というか、俗物で恥ずかしい。
慶長7年(1602年)8月に徳川家康の生母・於大の方が京都伏見城で死去し、家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬した。位牌は久松俊勝菩提寺の安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町→野田市)など各地に菩提寺を建立した。慶長8年(1603年)に家康は母の遺骨をこの地に埋葬し、現在まで残る墓を建立。寿経寺をここに移転して堂宇(堂の建物)を建て、安楽寺住職から受けた彼女の法名「伝通院殿」にちなんで院号を伝通院とした。
明治時代になると、廃仏毀釈により、お寺の規模そのものが小さくなっていった。
夏目漱石は若い頃に、この辺りに住んでおり、「こころ」にこのお寺が出て来る。
「金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束(おぼつか)なく見えたのです。ある日私はまあ宅(うち)だけでも探してみようかというそぞろ心(ごころ)から、散歩がてらに本郷台を西へ下りて小石川の坂を真直に伝通院(でんずういん)の方へ上がりました。」
「先生と遺書」より
春日駅から白山駅から千駄木と文学散歩もなかなかいいなと感じるのであった。
このお寺の庭で、「いつでも夢を」を口ずさんでしまう恥を知らないお婆さんであった。
広い庭に百日紅の花のピンクが映えていた。
橋幸夫さんのご冥福をお祈りいたします。
秋どなり いつでも夢を お江戸かな
すてき
投稿者のプロフィール

かおり1805投稿
誰も行かないような静かなお寺、神社が好きです。 地元の方、神社の所有者(小さい神社、祠は私有地が多い)に現地で話を聴き、ネットにない情報をホトカミあげてます。 しかあし! 私の投稿を読む人は1...もっと読む
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