御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月
湯島聖堂ではいただけません
広告

ゆしませいどう

湯島聖堂のお参りの記録(2回目)
東京都御茶ノ水駅

投稿日:2023年02月19日(日)
参拝:2023年2月吉日
2
妻恋神社様、湯島天神様、神田神社様とお参りをして湯島周辺最後は湯島聖堂様。

こちらは前回、参拝に来たときに境内で気功をしていたので中に入らず門の所で参拝しただけだったので今回また行ってみました😊

【湯島聖堂】

徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690年)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797年)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂•学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校•大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871年)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872年)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874年)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886年)、23年(1890年)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。

大正11年(1922年)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923年)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935年)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986年)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993年)三月竣工いたしました。
ー湯島聖堂HPよりー
湯島聖堂の山門
☆入徳門(にゅうとくもん)☆

木造、平家建。切妻造り。延面積14.16m2
宝永元年(1704年)建造。
入徳門-入徳とは、朱熹の「大学章句序」「子程子曰、大学、孔子之遺書而初学入徳之門也。」による。上野忍ヶ岡の林家の先聖殿創建時にも入徳門有り。曲阜の孔子廟には無い。江戸官学•朱子学の影響か。聖堂内、唯一の木造建造物。
湯島聖堂の山門
☆杏壇門(きょうだんもん)☆

間口20メートル、奥行4.7メートル、入母屋造り。
杏壇門-杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のこと。宋の乾興のとき、大殿(大成殿)を後方に移し、教授堂(講堂)の跡地を瓦敷きにして壇(高台)とし、周囲に杏を植え、金の党懐英が「杏壇二字碑」を建立。のちそこに門扉が設けられ、杏壇門の名称が付けられた。
湯島聖堂の本殿
☆大成殿(たいせいでん)☆

間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートル、入母屋造り。
大成とは、孔子廟の正殿の名称。
宋(北宋)の仁宗のとき命名。
「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。」に基づく。
殿内、中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子•顔子•曽子•子思の四賢人を祀る。
湯島聖堂の建物その他
額-伏見宮博恭王の筆(※元々は徳川綱吉の筆による)
※博恭王(ひろやすおう 1875-1946)
明治から昭和時代前期の皇族、海軍軍人。斯文会初代総裁。
海軍将校としてドイツ海軍大学校を卒業後、艦隊勤務に就く。日露戦争時には戦艦三笠分隊長として出征し、黄海海戦で負傷。
のちにイギリスに中佐として駐在したあと、戦艦朝日•巡洋艦伊吹の艦長を経て大正2年将官に進む。
海軍大学校長、艦隊の司令官•司令長官を歴任して11年大将となり、東郷平八郎と並んで日本海軍の二大長老の地位に立つ。
昭和7年海軍軍令部長ついで元帥となり、海軍軍令部の改編により軍令部総長となって昭和16年4月まで務める。
湯島聖堂の仏像
湯島聖堂の建物その他
湯島聖堂の山門
☆仰高門(ぎょうこうもん)☆

鉄筋コンクリート造。平家建。切妻造り。
延面積10.73m2、昭和10年(1935年)4月竣工。
仰高門-仰高とは、「論語」子罕第九「顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。」による。
曲阜の孔子廟では、西方にある。一般見学者用の入り口になる門。
上野林家の先聖殿創建時には無い。元禄3年、湯島移築の際には見える。
湯島聖堂の自然
入徳門から杏壇門へ続く参道の梅
湯島天神様よりこちらの方が咲いていました😊

すてき

みんなのコメント2件)

勝手フォロー失礼します、よろしくお願いします

2023年02月22日(水)

くろりんさん。はじめまして😊
フォロー有難う御座います。

2023年02月24日(金)
ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
湯島聖堂の投稿をもっと見る133件
コメント
お問い合わせ