ろくごうじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方六郷神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2025年09月09日(火) 07時09分05秒
参拝:2012年1月吉日
六郷神社の鳥居は、第一京浜、すなわち国道15号線に面して堂々と構えています。国道15号線と呼ぶよりも、むしろ「京浜国道」とか「旧東海道」といった名称の方が耳に馴染む方も多いでしょう。あるいは、地元の日常に溶け込んだ言い方で「大きな通り沿いの鳥居」と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。その存在感は強く、車窓からでもひと目で神社の所在を把握できるほどです。
この国道15号線は、正月の風物詩として全国に知られる「東京箱根間往復大学駅伝競走」、いわゆる「箱根駅伝」の舞台のひとつでもあります。私自身、港区と品川区の区境あたりにかかる新八ツ山橋付近で選手たちの力走を観戦した後、その熱気を胸に抱えつつ南下し、六郷神社に足を運びました。沿道の人々が声援を送る姿や、疾走するランナーの息づかいは、まさにこの道路が現代においても「人の流れをつなぐ道」であることを実感させてくれます。その延長線上に鎮座する六郷神社は、過去から現在に至るまで、地域の人々の信仰や暮らしとともに生き続けてきたことを思わせます。
公式には「六郷神社」という社号で東京都神社庁に登録されています。しかし、実際に長年この地に暮らしてきた人々は、きっと「六郷様」あるいは「鎮守様」といった親しみを込めた呼び方をしてきたのでしょう。古来より地域を守護してきた存在に対しては、かしこまった社名よりも、生活に根差した呼称の方がしっくり来るものです。そのため、外から訪れる者が「六郷神社」とそのまま呼ぶと、どこかよそよそしく、外部の人間であることを自ら強調してしまうような感覚も否めません。
とはいえ、私にとってはこの社を「六郷神社」と呼ぶほかにないのです。歴史的な背景や由緒を調べる時も、参拝の記録を綴る時も、その名称が基盤となります。けれども、参道を歩き、本殿の前に立ち、静かに手を合わせるそのひとときには、呼び名の堅苦しさは消え去り、ただ「ここに守られている」という安心感だけが心に残ります。よそ者としての距離感と、信仰の場に身を置く安らぎ。その両方を同時に味わわせてくれるのが、この六郷神社なのだと感じました。
この国道15号線は、正月の風物詩として全国に知られる「東京箱根間往復大学駅伝競走」、いわゆる「箱根駅伝」の舞台のひとつでもあります。私自身、港区と品川区の区境あたりにかかる新八ツ山橋付近で選手たちの力走を観戦した後、その熱気を胸に抱えつつ南下し、六郷神社に足を運びました。沿道の人々が声援を送る姿や、疾走するランナーの息づかいは、まさにこの道路が現代においても「人の流れをつなぐ道」であることを実感させてくれます。その延長線上に鎮座する六郷神社は、過去から現在に至るまで、地域の人々の信仰や暮らしとともに生き続けてきたことを思わせます。
公式には「六郷神社」という社号で東京都神社庁に登録されています。しかし、実際に長年この地に暮らしてきた人々は、きっと「六郷様」あるいは「鎮守様」といった親しみを込めた呼び方をしてきたのでしょう。古来より地域を守護してきた存在に対しては、かしこまった社名よりも、生活に根差した呼称の方がしっくり来るものです。そのため、外から訪れる者が「六郷神社」とそのまま呼ぶと、どこかよそよそしく、外部の人間であることを自ら強調してしまうような感覚も否めません。
とはいえ、私にとってはこの社を「六郷神社」と呼ぶほかにないのです。歴史的な背景や由緒を調べる時も、参拝の記録を綴る時も、その名称が基盤となります。けれども、参道を歩き、本殿の前に立ち、静かに手を合わせるそのひとときには、呼び名の堅苦しさは消え去り、ただ「ここに守られている」という安心感だけが心に残ります。よそ者としての距離感と、信仰の場に身を置く安らぎ。その両方を同時に味わわせてくれるのが、この六郷神社なのだと感じました。
すてき
投稿者のプロフィール

ヒナメリ473投稿
鉄道(乗り鉄)とスポーツ観戦(野球、競輪、競馬、アメフト、ラグビー、など)が趣味で、その旅の中で風景印を集めています。そのついでに神社仏閣にも足を運んでいます。格式があるとされる神社から町や村の...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。










