ろくごうじんじゃ
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六郷神社ではいただけません
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六郷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月15日(日)
参拝:2020年7月吉日
六郷神社(ろくごう~)は、東京都大田区にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は誉田別命。
社伝によると、平安時代後期の1057年、源頼義・義家父子が当地で源氏の白旗を立て軍勢を募り、石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ士気が大いに高まり前九年の役で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請して八幡宮を創建したとされる。1189年、源頼朝もまた源義経・奥州藤原氏の征討にあたり、祖先の吉例に倣って白旗を立て戦勝祈願をした。2年後に梶原景時に命じて社殿を造営し、現在社宝となっている雌獅子頭と浄水石を奉納し、景時は太鼓橋を寄進した。
徳川家康の江戸入府にあたり、当社近傍を流れる六郷川への架橋を命じ、当社に竣工を祈願して願文を奉り、当社の神輿によって渡初式を行ったと伝わる。爾来徳川家の縁が深く、朱印地18石を下賜されたほか、神紋として八幡宮の巴紋と併せて三つ葉葵紋の使用が許されている。当時は「六郷八幡宮」と称されていた。なお、江戸時代中期までは他の八幡社と同様、八幡三神(誉田別命、神功皇后、比売大神)を祀っていたが、例祭の曳舟祭で一座の神輿が東京湾に流され、もう一座は荒神で祟りを受けたので土中に埋められ、結果として現在では祭神が誉田別命1体となっているとのこと。明治時代の近代社格制度の下で郷社に列し、社名を「六郷神社」と改称した。
上記の縁起には1057年以前の記載はないが、当社はずっと以前から存在していたようで、平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 稗田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「薭田神社」、「鵜ノ木八幡神社」がある。)
当社は、京急本線・六郷土手駅の北東500mほどの平らな住宅街にある。立派な神門からはじまる境内はとても広々としていて、社殿も大きく威風堂々としており、外観はワンランク上の旧県社格のイメージ。式内社「薭田神社」の論社の中ではもっとも立派な感じがする。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、子連れのママチャリが境内を通過するなど地元に根付いている感じがするが、純粋な参拝者は見掛けなかった。
社伝によると、平安時代後期の1057年、源頼義・義家父子が当地で源氏の白旗を立て軍勢を募り、石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ士気が大いに高まり前九年の役で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請して八幡宮を創建したとされる。1189年、源頼朝もまた源義経・奥州藤原氏の征討にあたり、祖先の吉例に倣って白旗を立て戦勝祈願をした。2年後に梶原景時に命じて社殿を造営し、現在社宝となっている雌獅子頭と浄水石を奉納し、景時は太鼓橋を寄進した。
徳川家康の江戸入府にあたり、当社近傍を流れる六郷川への架橋を命じ、当社に竣工を祈願して願文を奉り、当社の神輿によって渡初式を行ったと伝わる。爾来徳川家の縁が深く、朱印地18石を下賜されたほか、神紋として八幡宮の巴紋と併せて三つ葉葵紋の使用が許されている。当時は「六郷八幡宮」と称されていた。なお、江戸時代中期までは他の八幡社と同様、八幡三神(誉田別命、神功皇后、比売大神)を祀っていたが、例祭の曳舟祭で一座の神輿が東京湾に流され、もう一座は荒神で祟りを受けたので土中に埋められ、結果として現在では祭神が誉田別命1体となっているとのこと。明治時代の近代社格制度の下で郷社に列し、社名を「六郷神社」と改称した。
上記の縁起には1057年以前の記載はないが、当社はずっと以前から存在していたようで、平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 稗田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「薭田神社」、「鵜ノ木八幡神社」がある。)
当社は、京急本線・六郷土手駅の北東500mほどの平らな住宅街にある。立派な神門からはじまる境内はとても広々としていて、社殿も大きく威風堂々としており、外観はワンランク上の旧県社格のイメージ。式内社「薭田神社」の論社の中ではもっとも立派な感じがする。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、子連れのママチャリが境内を通過するなど地元に根付いている感じがするが、純粋な参拝者は見掛けなかった。
境内入口全景。かなり大きくて立派。旧県社クラス以上と言っても違和感はない。<鳥居>の右側に<社号標>がある。
鳥居の手前には、源頼朝の命で1191年に当社を造営した梶原景時が自ら寄進したという<太鼓橋>がある。
切妻造の大きな<神門>をくぐる。
神門をくぐると、すぐ右手にある大きな<手水舎>。
参道の右側には、大きな<社務所>。御朱印はこちら。
<拝殿>遠景。拝殿までのアプローチが長く、心が引き締まるのが分かる。
<拝殿>全景。大きくどっしりとして重厚感がある。総檜造りで、江戸時代中期1719年に造営されたものを、1987年に建て替えたとのこと。
<拝殿>正面。新しいが落ち着いた雰囲気。
<社殿>全景。拝殿後ろの<本殿>は、1719年造営時の物が残されている。
社殿の左手にある<神楽殿>。
鳥居の後ろ左側には、3つの境内社を祀っている。左から順に<三柱神社>、<天祖神社>、<氷川神社>。
鳥居の後ろ右側にある<稲荷神社>。
境内社の近くには<六郷橋の親柱>が保存されている。最初は1600年に徳川家康が架設したが洪水や台風で何度も流されている。保存されているのは1900年代初頭の最後の木製橋梁のもの。
すてき
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