しょうがくいん|浄土宗
正覚院の編集履歴
ふりがな
しょうがくいん
住所
江東区三好1-7-7
編集前:江東区三好1-7-7
ご由緒
寛永六年(1629)、霊巌寺塔頭として霊巌島に創建された。桜井松平遠江守忠俱が開基、寛永一六年(一六三九)二月一二日没し、正覚院殿と号した父掛川藩主松平忠重の菩提のために建立。松平忠継の優遇により増上寺別院の称を得た。
明暦の大火(1658)で焼失後、霊巌寺とともに現在地に移転してくる。関東大震災後の区画整理で周囲にあった開善院・光明院・正覚院が合併して現在の正覚院が成立した。
昭和初期、冬木弁天あたりに悪さをする白いきつねが出没し、捕らえられこの寺に白狐塚をつくり近所の人も参加して大祭をした。大祭は戦争でとぎれてしまったという。。
並木五瓶、奥倉魚仙の墓があり、歌舞伎の萬屋一門の菩提寺である。
(寺社めぐり26、江東区の民俗深川編より)
編集前:寛永6年(1629)に霊源寺の塔頭寺院として霊巌寺開山の霊巌上人が開山、尼崎城主櫻井家が開基となり、創建されました。明暦の大火(1658)で焼失後、霊巌寺とともに現在地に移転してきました。関東大震災後の区画整理で周囲にあった開善院・光明院・正覚院が合併して現在の正覚院が成立しました。昭和初期、冬木弁天あたりに悪さをする白いきつねが出没し、捕らえられ、この寺に白狐塚をつくり、近所の人も参加して大祭をした。大祭は戦争でとぎれてしまったといいます。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
トイレ
なし
院号
正覚院
文化財
•石造燈籠 享保10年在銘(江東区有形文化財)
•石造燈籠 明和3年在銘(江東区有形文化財)
•木造伝閻魔倚像(江東区有形文化財)
•木造菩薩立像(江東区有形文化財)
•木造阿弥陀如来立像(江東区有形文化財)
•厨子入木造薬師如来立像(江東区有形文化財)
•松平忠敏墓(江東区有形文化財)
•水盤 小倉藩宮本源兵衛興根奉納(江東区有形文化財)
編集前:•石造燈籠 享保10年在銘(江東区有形文化財)
•石造燈籠 明和3年在銘(江東区有形文化財)
•木造伝閻魔倚像(江東区有形文化財)
•木造菩薩立像(江東区有形文化財)
•木造阿弥陀如来立像(江東区有形文化財)
•厨子入木造薬師如来立像(江東区有形文化財)
•松平忠敏墓(江東区有形文化財)
•水盤 小倉藩宮本源兵衛興根奉納(江東区有形文化財)