なりたさんふかがわふどうどう(しんしょうじとうきょうべついん)
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成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)ではいただけません
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成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月16日(月)
参拝:2022年4月吉日
正式名:成田山東京別院深川不動堂
通称:深川不動尊、深川不動堂
東京都江東区富岡にある真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。
江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が高まり、これを受けて元禄16年(1703)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。
永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。
明治14年(1881)に本堂が完成。その後本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたって焼失したが、役僧たちが命がけで運び出したことにより、本尊は焼失を免れた。
通称:深川不動尊、深川不動堂
東京都江東区富岡にある真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。
江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が高まり、これを受けて元禄16年(1703)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。
永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。
明治14年(1881)に本堂が完成。その後本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたって焼失したが、役僧たちが命がけで運び出したことにより、本尊は焼失を免れた。
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竜王1042投稿
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