すみよしじんじゃ
住吉神社の編集履歴
郵便番号
104-0051
ご由緒
「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子・底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。
神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御加護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現・大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現・田蓑神社)の起こりです。
その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分身霊を奉戴し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保三年(1646)六月二十九日、住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
編集前:「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子・底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の三柱の神です。
神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御加護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(現・大阪市西淀川区佃)にて、住吉三神を遥拝なさいました。これが大阪佃の住吉の社(現・田蓑神社)の起こりです。
その後、天正年間より大阪田蓑島の人々と徳川家康公とが深い関わりを持つようになり、家康公の漁業の傍ら田も作れとの命により、村名を田蓑から佃へと改め、また田蓑の名を残すため神社名を住吉神社から田蓑神社へと改めることとなりました。
その後、家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫三十三人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分身霊を奉戴し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保三年(1646)六月二十九日、住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
電話番号
03-3531-3500
ご祭神/ご本尊
《主》底筒之男命,中筒之男命,表筒之男命,《配》息長足姫命(神功皇后),(東照御親命)徳川家康
編集前:《主》底筒之男命,中筒之男命,上筒之男命,《配》神功皇后,徳川家康
駐車場
なし
参拝料
なし
行事
1月1日 歳旦祭
2月3日 追儺祭
2月17日 祈年祭
3月下旬~4月上旬 龍神社例祭
6月30日 大祓式
8月6日 例祭
11月23日 新嘗祭
12月31日 大祓式(年越大祓)
文化財
中央区指定有形文化財
水盤舎
陶製住吉神社扁額
板絵着色蘭陵王図額
木板金地着色蘆鷺図額
住吉神社文書
Wikipedia
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