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2025年04月08日(火) 19時23分 bykeokeo˚✧₊⁎
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法蓮社傳誉利道和尚(寛永元年1620年寂)が開山となり創建したといいます。 徳川三代将軍家光が鷹狩りの際当寺に立ち寄り、当寺の松を三葉松と名付けたことにより、当寺前の坂を三葉坂(三鈷坂)、当町会名を三光町と称すようになったといいます(現在活動していません)。
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当山は、江國紹巴禅師が寛永三年(1626年)に麻布今井寺町(今の六本木三丁目あたり)に草庵を結び、その後縁あって旗本上田重秀公の菩提寺としたのが始まりです。 元禄七年(1694年)町医者吉田玄信が百姓地であった現所在地一帯を買い入れ、上田家菩提所として寄進され、現在に至っております。 ※開祖は諱は絶巴、字は江國、姓は大江と謂う。日向國の人にして生所其の他の事は詳しからず。同国佐土原大光寺、丗七世雄山和尚に就いて得度す。寛文一二年四月三日円寂す。時に寿八十一なり。越えて文化十五年六月三日勅して説到無説禅師の諡号を賜ふ。 上田重秀公は芸州浅野家(現広島県)の家老上田重安(上田宗箇)の長男。寛永九年(1632年)に第三代将軍・徳川家光に旗本として取り立てられ、父・宗箇のかわりに江戸へ出仕した武士です。重秀公は、馬術に長け、馬術上田流の開祖と言い伝えられています。 重秀公の実父上田重安(宗箇)は、室町時代に活躍した戦国武将で、武家茶道上田宗箇流の流祖です。 茶道上田宗箇流は広島の地で代々受け継がれ、平成五年からは当山の書院が東京の稽古場となっています。 (HPより)
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2025.4月現在 御朱印はやっていないそうです。
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松宮山
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三葉院
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寛永元年(1620年)
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寛永三年(1626年)
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法蓮社傳誉利道和尚
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開山 江國紹巴禅師
