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2025年01月21日(火) 03時33分 byくし
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相模國藤澤清浄光寺末で、時宗に属し、門に冬嶺山の扁額を掲げ、境内には梅樹が多い。 嘉元中多摩郡高井戸に創建し、常光寺と稱してゐた。 寶暦二年徳川宗将(和歌山侯)此地に移し、明和二年中松秀寺と改めた。中興の開山は遊行五十世快存上人である。 本宗に属する寺院は少く市内でも僅かに七箇寺を數へるのみである。 當寺に安置してある延命地蔵菩薩は、徳一大師の作で、霊験あらたかと稱せられてゐる。祈願者は其日數を限つて祈念する習慣になつてゐるので、俗に日限地蔵とも呼ぶ。 (「芝區誌」より)
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相模國藤澤清浄光寺末で、時宗に属し、門に冬嶺山の扁額を掲げ、境内には梅樹が多い。 嘉元中多摩郡高井戸に創建し、常光寺と稱してゐた。 寶暦二年徳川宗将(和歌山侯)此地に移し、明和二年中松秀寺と改めた。中興の開山は遊行五十世快存上人である。 本宗に属する寺院は少く市内でも僅かに七箇寺を數へるのみである。 當寺に安置してある延命地蔵菩薩は、徳一大師の作で、霊験あらたかと稱せられてゐる。祈願者は其日數を限つて祈念する習慣になつてゐるので、俗に日限地蔵とも呼ぶ。 (「芝區誌」より) 【参考情報 日限地蔵尊について】 群馬県館林市に日限地蔵尊を本尊とする深諦寺(時宗)がある。この日限地蔵尊はもともと会津(福島県)の芦名盛氏が夢のお告げで城中の丑沼から出現したもので三体あったという。一体は深諦寺、一体は会津の日限地蔵尊(大沼郡会津美里町)に伝わっているが、もう一体については「東京白金の朝辰和尚」なる僧が持ち帰ったという伝承があり、それがこのお寺の日限地蔵尊ではないかと思われる。 傍証として会津の日限地蔵尊にも「徳一大師作」との伝承が伝わる。
