ぎょらんじ|浄土宗|三田山
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楽しみ方魚籃寺のお参りの記録一覧(2ページ目)

江戸三十三観音霊場25番札所。魚籃寺(ぎょらんじ)は、港区三田の魚籃坂(ぎょらんざか)にある浄土宗の寺院。山号は三田山、院号は水月院。本尊は希少で珍しい魚籃観世音菩薩。
創建は江戸時代前期の1652年、開基は称誉上人。寺名は本尊に由来しており、魚籃坂の名は本寺に由来している。
本尊の<魚籃観世音菩薩>は、頭髪を唐様の髷(まげ)に結んだ美しい乙女で、右手に魚を入れた竹籠を提げ、左手で裳裾(もすそ)を軽く引き上げた観音像。中国・唐の時代に仏が美しい乙女の姿で魚を売りながら仏法を広めたという故事に基づいている。
当寺は地下鉄の白金高輪駅から徒歩1分の魚籃坂の途中にあり、通り沿いには門だけが立っているが奥の敷地は広い。江戸時代には相当人気があったようで、お寺によると「江戸名所図会」にも記載があるとのこと。
参拝時は週末の午後で、他に参拝者はなし。手書きの御朱印に、由緒書としてしっかりとした冊子を無料で渡され好印象。

魚籃坂に立ち並ぶ建物群に挟まれて建つ山門。

古そうな<三田山>の扁額。

境内全景。右は本堂、左は事務所。

本堂。

<魚籃観世音菩薩>の扁額。増上寺大僧正の筆。

塩地蔵。

寺務所。御朱印はこちら。寺務所内に実寸大の<魚籃観世音菩薩>と思しき像がある。

江戸三十三観音霊場第25番札所浄土宗寺院。
ご本尊は魚籃観世音菩薩。
目前の坂の由来はここから来ています。
御朱印は、左手の庫裏にていただく事ができます。

山門です。

山門横の六地蔵。



本堂右手にある「塩地蔵」
塩を備えて祈願して、叶った時にはまた塩を備えます。

本堂です。


江戸三十三観音巡礼27か所目は、25番札所の港区三田の魚籃寺(ぎょらんじ)。
道往寺さんから徒歩5分ほど。
本尊は魚籃観音。魚籃とは魚を入れる魚籠(びく)のこと。
魚籠を持った観音様です。
お寺の前の坂は、魚籃坂。このお寺の名前が起源とのこと。

江戸三十三観音25番札所、魚籃寺さんの魚籃観音様の御朱印です。

魚籃寺山門

魚籃寺の境内と本堂。
本堂には魚籃観音様がいらっしゃりますが、秘仏なので普段はお姿は普段は拝見できません。
施餓鬼法要の時のみ、御開帳とのこと。

魚籃寺さんの境内にいらっしゃる薬師如来と塩地蔵。

地下鉄南北線「白金高輪駅」下車徒歩2分。江戸三十三観音霊場第25番札所の浄土宗寺院。ご本尊は魚籃観世音菩薩です。
法誉上人が御尊像を豊前(大分県)中津に魚籃院を建立。御利益を広く世の中に伝えようと、1630年に江戸に草庵を作って祀りました。
魚籃観音は、中国から伝来した御霊像で、髷を結んだ美しい乙女が右手に魚を入れた竹籠を提げて売り歩き、やがて仏法を広めたという故事に基づいた姿を写し取り奉ったものだそうです。
境内の通りは「魚籃坂」で、坂の途中にあるので付けられました。
小さい境内ですが、薬師如来や馬頭観音をはじめ、願い事が叶えば塩を供えると御利益がある塩地蔵などの珍しい式仏があって、いつきても興味深く感じます。

坂の途中にある赤い門が目印です。

六地蔵です。

塩を供えて御利益があるという「塩地蔵」。
右手が「亀石」です。

本堂です。

魚籃観音らしく扁額も「魚」です。


江戸三十三観音再訪 その33
メトロ南北線「白金高輪駅」下車徒歩5分。江戸三十三観音霊場第25番札所の浄土宗寺院。ご本尊は魚藍観世音菩薩です。
1652年、称誉上人が現在地に観音堂を建てられたのが始まりです。
ご本尊は、魚を入れた竹籠を提げている乙女の姿をした仏像と言われて珍しいものだそうです。

魚藍坂の途中に朱色の門が特徴です。


境内に塩が大量に供えられている地蔵は、「塩地蔵」と呼ばれています。


本堂です。

掲げられているご詠歌には
「身をわけて救う乙女の魚かごに
誓の海の深きをぞ知る」
ご本尊の魚藍観音を表しています。

江戸名所図会にも「魚藍寺」が出て来ています。

#魚籃寺
ご本尊は魚籃(ぎょらん)観音。
#魚籃観世音菩薩
パンフに真言は「オン アロリィキャ ソワカ」とある。聖観音の真言をそのまま使っているものと思われる。
三十三観音の1尊。
パンフには魚籃観音自身のことと、ここ魚籃寺で彼女がいかに祀られるようになったのかが、詳しく書かれている。古文書が寺院に残っているそうだ。
観音菩薩が唐の時代の中国に美少女の姿で現れて仏法を広めた、という内容だ。魚籃観音の像はその時の少女の姿に彫られているらしい。なお魚籃とは魚の入った篭のこと。観音さまははじめ、魚を売り歩くふりをして人々を導いていったのだそう。それから、像は秘仏なので見ていない。
魚売りの乙女の器量に村中の男が首ったけになり、誰もが嫁に養女にと求めた。少女ははじめ「信心篤い殿方のところへ参ります」と言っていたが、条件を達成する者が出てくるたび少しずつレベルアップ。しまいには法華経を丸暗記する猛者が村に現れるところまで引き上げたと。
歓喜天と十一面観音の逸話に似たところがある。
像は村人の1人の家で代々大切にされたが、その子孫があるとき来日し、もっともっと広めてほしいと言って長崎のとある僧侶に託した。それがいつのことなのかは書かれていない。当初は現在の大分県で祀られたが、江戸時代のはじめに江戸へ移ったと。

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