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ぎょらんじ|浄土宗三田山

魚籃寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
東京都 白金高輪駅

惣一郎
惣一郎
2021年02月04日(木) 21時14分29秒
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江戸三十三観音霊場25番札所。魚籃寺(ぎょらんじ)は、港区三田の魚籃坂(ぎょらんざか)にある浄土宗の寺院。山号は三田山、院号は水月院。本尊は希少で珍しい魚籃観世音菩薩。

創建は江戸時代前期の1652年、開基は称誉上人。寺名は本尊に由来しており、魚籃坂の名は本寺に由来している。
本尊の<魚籃観世音菩薩>は、頭髪を唐様の髷(まげ)に結んだ美しい乙女で、右手に魚を入れた竹籠を提げ、左手で裳裾(もすそ)を軽く引き上げた観音像。中国・唐の時代に仏が美しい乙女の姿で魚を売りながら仏法を広めたという故事に基づいている。

当寺は地下鉄の白金高輪駅から徒歩1分の魚籃坂の途中にあり、通り沿いには門だけが立っているが奥の敷地は広い。江戸時代には相当人気があったようで、お寺によると「江戸名所図会」にも記載があるとのこと。

参拝時は週末の午後で、他に参拝者はなし。手書きの御朱印に、由緒書としてしっかりとした冊子を無料で渡され好印象。

魚籃寺の山門・神門

魚籃坂に立ち並ぶ建物群に挟まれて建つ山門。

魚籃寺のその他建物

古そうな<三田山>の扁額。

魚籃寺のその他建物

境内全景。右は本堂、左は事務所。

魚籃寺の本殿・本堂

本堂。

魚籃寺の本殿・本堂

<魚籃観世音菩薩>の扁額。増上寺大僧正の筆。

魚籃寺(東京都)

塩地蔵。

魚籃寺のその他建物

寺務所。御朱印はこちら。寺務所内に実寸大の<魚籃観世音菩薩>と思しき像がある。

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エム
エム
2019年11月08日(金) 22時02分11秒
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江戸三十三観音巡礼27か所目は、25番札所の港区三田の魚籃寺(ぎょらんじ)。
道往寺さんから徒歩5分ほど。
本尊は魚籃観音。魚籃とは魚を入れる魚籠(びく)のこと。
魚籠を持った観音様です。
お寺の前の坂は、魚籃坂。このお寺の名前が起源とのこと。

魚籃寺の御朱印

江戸三十三観音25番札所、魚籃寺さんの魚籃観音様の御朱印です。

魚籃寺の山門・神門

魚籃寺山門

魚籃寺のその他建物

魚籃寺の境内と本堂。
本堂には魚籃観音様がいらっしゃりますが、秘仏なので普段はお姿は普段は拝見できません。
施餓鬼法要の時のみ、御開帳とのこと。

魚籃寺のその他建物

魚籃寺さんの境内にいらっしゃる薬師如来と塩地蔵。

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ハマの「寺(テラ)」リスト
ハマの「寺(テラ)」リスト
2024年07月25日(木) 21時56分51秒
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江戸三十三観音再訪 その33

メトロ南北線「白金高輪駅」下車徒歩5分。江戸三十三観音霊場第25番札所の浄土宗寺院。ご本尊は魚藍観世音菩薩です。

1652年、称誉上人が現在地に観音堂を建てられたのが始まりです。
ご本尊は、魚を入れた竹籠を提げている乙女の姿をした仏像と言われて珍しいものだそうです。

魚籃寺(東京都)

魚藍坂の途中に朱色の門が特徴です。

魚籃寺(東京都)
魚籃寺(東京都)

境内に塩が大量に供えられている地蔵は、「塩地蔵」と呼ばれています。

魚籃寺(東京都)
魚籃寺(東京都)

本堂です。

魚籃寺(東京都)

掲げられているご詠歌には
「身をわけて救う乙女の魚かごに
誓の海の深きをぞ知る」
ご本尊の魚藍観音を表しています。

魚籃寺(東京都)

江戸名所図会にも「魚藍寺」が出て来ています。

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Gauche Ingalls
Gauche Ingalls
2023年12月23日(土) 02時26分33秒
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#魚籃寺

ご本尊は魚籃(ぎょらん)観音。

#魚籃観世音菩薩

パンフに真言は「オン アロリィキャ ソワカ」とある。聖観音の真言をそのまま使っているものと思われる。
三十三観音の1尊。

パンフには魚籃観音自身のことと、ここ魚籃寺で彼女がいかに祀られるようになったのかが、詳しく書かれている。古文書が寺院に残っているそうだ。
観音菩薩が唐の時代の中国に美少女の姿で現れて仏法を広めた、という内容だ。魚籃観音の像はその時の少女の姿に彫られているらしい。なお魚籃とは魚の入った篭のこと。観音さまははじめ、魚を売り歩くふりをして人々を導いていったのだそう。それから、像は秘仏なので見ていない。

魚売りの乙女の器量に村中の男が首ったけになり、誰もが嫁に養女にと求めた。少女ははじめ「信心篤い殿方のところへ参ります」と言っていたが、条件を達成する者が出てくるたび少しずつレベルアップ。しまいには法華経を丸暗記する猛者が村に現れるところまで引き上げたと。
歓喜天と十一面観音の逸話に似たところがある。

像は村人の1人の家で代々大切にされたが、その子孫があるとき来日し、もっともっと広めてほしいと言って長崎のとある僧侶に託した。それがいつのことなのかは書かれていない。当初は現在の大分県で祀られたが、江戸時代のはじめに江戸へ移ったと。

魚籃寺の御朱印
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