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大徳院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月13日(日)
参拝:2024年10月吉日
東京都墨田区に位置する大徳院は、高野山真言宗に属し、1686年に江戸幕府から現在の地を拝領して創建されました。高野山金剛峰寺の直末一等格院として、江戸における弘法大師信仰の中心地となりました。寺名の「大徳院」は、弘法大師の「大」と徳川家の「徳」を合わせたもので、徳川家の位牌所や祈願所としての役割も果たしてきました。
●歴史的背景
大徳院の創設は貞享2年(1686)ですが、その前身は寛文6年(1666)に本所猿江に移転された際のもので、さらに貞享元年(1684)に現在地へと移りました。このとき、住僧の宥永上人が中興開山として知られています。本尊は寅薬師如来で、弘法大師が作ったと伝えられています。この薬師如来は、江戸八十八所弘法大師めぐりの一所に挙げられ、徳川家代々の将軍からも厚い信仰を寄せられていました。
●現在の大徳院
明治18年(1885)には高野山別院としての機能を高野山東京別院に返上し、一地方寺院として活動を続けています。大徳院は「御府内八十八ヶ所霊場」の50番札所としても知られています。また、境内には薬師堂や銅製地蔵尊、さまざまな供養塔があります。
●歴史的背景
大徳院の創設は貞享2年(1686)ですが、その前身は寛文6年(1666)に本所猿江に移転された際のもので、さらに貞享元年(1684)に現在地へと移りました。このとき、住僧の宥永上人が中興開山として知られています。本尊は寅薬師如来で、弘法大師が作ったと伝えられています。この薬師如来は、江戸八十八所弘法大師めぐりの一所に挙げられ、徳川家代々の将軍からも厚い信仰を寄せられていました。
●現在の大徳院
明治18年(1885)には高野山別院としての機能を高野山東京別院に返上し、一地方寺院として活動を続けています。大徳院は「御府内八十八ヶ所霊場」の50番札所としても知られています。また、境内には薬師堂や銅製地蔵尊、さまざまな供養塔があります。
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