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すわじんじゃ

諏訪神社の御由緒・歴史
東京都 田原町駅

ご祭神《主》健御名方神,《配》八坂刀売神
創建時代伝・承久の乱(1221年)後
ご由緒

(境内掲示板「諏訪神社」より) 原文まま

当社の創祀は定かではありませんが口碑に依りますと承久の乱のあと信濃国諏訪郡に住んでいたある神主が諏訪大社の神霊を当地に奉斎したのに始まると云われていります。
 諏訪の信仰が東国に広まるのは鎌倉時代中頃と云われ当時諏訪大社は鎌倉幕府より箱根権現や伊豆山権現 三島大社と共に特別の尊崇を受けていたのです。それは諏訪大社の大祝家が源頼朝の旗上げに最初から協力し祈祷の効を積んだからである。従がって頼朝も諏訪大社を武家守護の神として崇敬したのです。又後白河法皇の染塵秘抄にも関より東の軍神として鹿島大社と香取大社を挙げ三番目に諏訪大社を記しています。
 その後幕府の執権となった北条氏は信濃国の守護職となり諏訪郡を得宗領とし諏訪大社の神主を得宗被官としたのです こうした北条氏の支援によって諏訪大社の御分社を奉斎すると共に支配する所領地にも御分社を奉斎し神主を招き神事を執行してきたと伝われています。当社に残されています社史には当社は天正年間神職が数代に亘って奉仕してきた事が伝えられおり諏訪大社と同じ諏訪梶の御神紋を使用し風祭りの神事が行われていた事が分っています。
 江戸時代に入ると浅草寺との関係が生まれその寺領内に当社が鎮座しており浅草寺の十二衆徒の一院である修善院が別当となり当社をお守りしてきました。尚当地は現在駒形となっていますが江戸時代以来諏訪町と呼ばれてきたのです。
再訂江戸鹿子には近年度々の回禄によりて社頭は形の如くなれども神徳は社の捐凶によらず唯霊験の灼をもって崇め祀とぞと記されています。

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