にちりんじ
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楽しみ方日輪寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月17日(日) 17時53分33秒
参拝:2025年8月吉日
台東区西浅草にある平将門公ゆかりの寺院になります。
当寺は時宗 神田山芝崎道場日輪寺と号します。
創建は一説に9世紀、武蔵国豊島郡芝崎村(現千代田区大手町)に、天台宗の了円法師が開基したと伝えられます。芝崎村には天慶の乱で戦死した平将門の墳墓が築かれましたが、のちに荒廃して将門の亡霊が村民を悩ますようになりました。
嘉元年中(1303〜6)時宗の二祖 他阿真教上人が、村民の求めにより丁重に供養して亡霊を鎮め、その霊魂を神田明神に祀りました。村には平和がたちまち戻り、上人は村民に請われて日輪寺を時宗の念仏道場に改めたといいます。
江戸時代の神田明神祭礼では、日輪寺の僧侶が読経してから神輿を出す例となっていました。
日輪寺は天正18年(1590)徳川家康の江戸入城後、江戸の都市整備や災害復興などにともない、何度か所在地を変えています。現在地に移転した年代は二説あり、慶長8年(1603)という説と、明暦3年(1657)江戸大火の後という説があります。
明治2年から昭和40年まで、この付近の町名を芝崎町といいましたが、その町名は日輪寺に由来しています。
(境内ご由緒書きより)
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浅草に来たもう一つの目的は、神田明神の別当寺だった日輪寺の参拝です🙏
日輪寺は他にも、時宗の総触頭、檀林寺院としての役割を持ち、本山ではありませんがとても重要な寺院だったようです。
将門公の位牌を奉安していて、現在も毎年2月14日に法要が行われています。
※触頭(ふれがしら)→幕府と各宗派の連絡役となった寺
※檀林寺院→僧侶が仏教の教養や学問を学ぶための寺
当寺は時宗 神田山芝崎道場日輪寺と号します。
創建は一説に9世紀、武蔵国豊島郡芝崎村(現千代田区大手町)に、天台宗の了円法師が開基したと伝えられます。芝崎村には天慶の乱で戦死した平将門の墳墓が築かれましたが、のちに荒廃して将門の亡霊が村民を悩ますようになりました。
嘉元年中(1303〜6)時宗の二祖 他阿真教上人が、村民の求めにより丁重に供養して亡霊を鎮め、その霊魂を神田明神に祀りました。村には平和がたちまち戻り、上人は村民に請われて日輪寺を時宗の念仏道場に改めたといいます。
江戸時代の神田明神祭礼では、日輪寺の僧侶が読経してから神輿を出す例となっていました。
日輪寺は天正18年(1590)徳川家康の江戸入城後、江戸の都市整備や災害復興などにともない、何度か所在地を変えています。現在地に移転した年代は二説あり、慶長8年(1603)という説と、明暦3年(1657)江戸大火の後という説があります。
明治2年から昭和40年まで、この付近の町名を芝崎町といいましたが、その町名は日輪寺に由来しています。
(境内ご由緒書きより)
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浅草に来たもう一つの目的は、神田明神の別当寺だった日輪寺の参拝です🙏
日輪寺は他にも、時宗の総触頭、檀林寺院としての役割を持ち、本山ではありませんがとても重要な寺院だったようです。
将門公の位牌を奉安していて、現在も毎年2月14日に法要が行われています。
※触頭(ふれがしら)→幕府と各宗派の連絡役となった寺
※檀林寺院→僧侶が仏教の教養や学問を学ぶための寺
すてき
投稿者のプロフィール

ひなぎく823投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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